気が散るときの対処法とは?
(2017年末のメルマガです)
今年も余すところ一ヶ月を切り、
年初に立てたプランの達成状況が気になる頃かと思います。
そのためか、「もう少し集中力があったらなぁ」という声が、
あちこちから聞こえてきます。
そこで今回は、気が散るときの対処法について考え、
集中することの価値を再認識してみたいと思います。
◆気が散る元凶は自ら作り出している
集中が乱される様子を内観していくと、
気が散ることの元凶が自らの想念だということがわかります。
次から次へと浮かんでは消える思考。
時空を超えて意味もなく再燃する感情。
関心があるはずもないのにふと思い出す他愛のない会話。
さらにはそこらから妄想が芽生えて走り出します。
放っておけば際限なく気は散り続けます。
さらにまずいのは我々が生きる現代社会は
気が散る仕掛けに満ちているということです。
取り組むべきことをしないでネット閲覧に興じたり、
SNSに時間を割いたり、テレビに身をゆだねたり。
気が散った状態が当たり前の生活クオリティになると、
次から次へと怠惰な習慣が身についていきます。
先送りのクセ。
判断を他人に任せるクセ。
健康的なことから逃げるクセ。
酒量も限りなく増えていきます。
そして約束不履行。
責任転嫁。
現実逃避・・・
そんな悪習が板についてしまうと人生を台無しにします。
◆集中できないのは脳の戦略
人の脳は、かつて生死が自然の中にあった頃に、
外界のありとあらゆる変化に気づけるように非集中を選択したのだ
自然界では何か一点に気をとられていると危険ですから、
注意を360度に向けるように気を散らす能力を手に入れたのです
現代人からすれば不都合に思える気が散る現象は、
変化(=危険)に迅速に対応できるように獲得した、
人類の生き残り術だったというわけです。
現代社会では集中力の有無が
成否を分ける大きな要因になっているのですが、
自然界なら立場が逆転するかもしれないと考えると面白いものです
◆脳がもたらす弊害
進化の過程で養ってきた「危険回避能力」は、
「変化を恐れる」という弊害を現在の私たちにもたらしました。
「こうしたい」、「こうなりたい」と思っても、
それは「変化を起こすこと」と同義語ですから、
脳は「今のままでいいじゃない?」と判断します。
なんであれ、今の状況は、
「自分を守る」ために働く脳の習性が作り上げたものですから、
いつまでも守りの姿勢になります。
そこで重要になるのが、集中です。
それは、目的に集中することです。
過去を前提に新しいことを考えると脳は「ノー」と言ってきます。
いわゆる「過去の成功にとらわれる」というわけです。
なぜなら、「こうしたい」、「こうなりたい」
変化すること自体にフォーカスしているので、
当然ながら脳は恐れを持ち行動にブレーキをかけます。
もしくは「逃げろ!」と理想から遠ざかる行動を促します。
そして、脳はブレーキをかけたり、逃げることを肯定する「理由・
そこに時間・お金・労力を費やすようになります。
なぜなら、それは恐れを抱いた脳への癒しになるからです。
勉強する前になぜか部屋の片付けをして、
そこに時間を費やしてしまうのも同じことです。
ここで大切なのは、スマホをいじる、テレビを観る、
そのために時間を使うことがまちがい問題なのではありません。
なぜ時間を割くのか?
その価値を吟味してみる視点を持つことが大切です。
それは、過去の実績や行い、成功体験、もしくは過ちへの癒し、
それらを求めるという脳の後ろ向きな習性が現われることが多々あ
それによって、
◆脳の特性を活かす
脳は危機回避という能力以外に、
もうひとつのステキな能力を養ってきました。
それは、自浄する能力。
つまり「吟味する能力」で、
「なぜ?」という質問で現状分析への集中力が増します。
そうすると、時間の使い方の価値が判断できます。
ポイントは、
1:理想を叶えるための時間の使い方なのか?
2:脳の癒しのための時間の使い方なのか?
これは行動で判断できます。
そして、変化の「先」に焦点を当てると脳は期待し始めます。
ワクワクするわけです。
ワクワクは癒しを超え、人間に行動を促します。
それは、誰かから与えられるワクワクではなく、
何かから得られるワクワクではなく、
将来の自分が体験することへのワクワクです。
変化に集中するのではなく、
変化の先の景色や体験に集中します。
◆ブッダの知恵・ラベリング
気が散る現象に対処する術を
2500年前のブッダに学ぶことができます。
ブッダは苦の原因は感情や不安や疑いといった妄想であり、
心の一番深い働きである意識の「気づき」でそれらを抑えれば、
事実だけが残り一切の苦から解放されるとして瞑想を始めました。
具体的には、次から次へと湧き出す思考に、
「妄想」、「思い込み」、「雑念」、「怒り」
すると連鎖しようとする思考の流れが断たれて、
情報が勝手な思い込みで歪められることなく認知され、
わざわざ苦を作り出さなくて済むというわけです。
このブッダの手法は、
『魂の掟』原本の感情と事実のバランスに出てくる、
“フォルダ分け”に通じます。
起こっている事実とその反応である感情を分けることで、
悲劇に走りだす感情は終息し対処すべき一点が浮かび上がる。
そんな内容でした。
お持ちの方はぜひ読み返して頂ければと思います。