【「自分らしさ」を考えるときのパラドックス】

 

「自分とはなんだろうか?」
という問題提起をした祖父は

「自分らしい」とか「自分らしさ」についての
あるパラドックスを指摘します。

小難しく、理屈っぽい一面もありますが、
祖父が語る本質は非常に重要です。

なぜなら、必要なモノ・コト・ヒトを
どうやって引き寄せるのか?という
人生において一番大切な「ご縁」を巻き起こせるか、
巻き起こせないかの違いに影響を与えるからです。

そこで祖父は
「ディズニーランドを例に考えてみよう」
と言いますが、どういうことでしょうか?

祖父の言葉です。
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【「自分らしさ」を考えるときのパラドックス】

 

たとえばディズニーランドに行く場合、
「楽しめる人」と「楽しめない人」がいるだろう。

その違いは何か?

単純に、ディズニーやディズニーランドが好きか・
興味がないか。
もしくは、テーマパークで楽しむことが好きか・
興味がないかの違いがある。

何が言いたいのか?というと

環境や条件によって「自分はどんな状態か」を、
言い換えれば「どんな自分か」が決まると思っていること。
この考え方がヨロシクない。

多くの人が考える人生や成功も同じだ。

自分の定義を、気分や感情で考えるから、
「こういう条件が整えば」自分は嬉しだろう・楽しいだろうと考え
そういう自分になりたいと思い
そう思えた時に「自分らしい」と判断する。

だから理想をイメージし、理想ばかり考える。
だが、実はここには「自分」は介在していない。

さっきの例で言えば、
「ディズニーランドは楽しいらしいよ」という外的基準で
「じゃあ行ってみよう」と考えちゃイカンということ。

「私は」ディズニーが好きならば
ディズニーランドに行くと選択し、
「私は」ディズニーに興味がないならば、
「私が」楽しめる場所へ行くだろう。

つまり、条件や環境で自分を定義せず、
「自分は何者か?」を考えるべきであり、
そうすると、自分らしく在れるし、
そのために必要なモノ・コト・ヒトがすべて引き寄ってくる。

「自分」が明確にわかった時、
「自分の」意志や意思が決まった時、
すべてのご縁が起こる。

じゃあ、どうしたら、
「自分とは何者か?」を知れるのだろうか?

 

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