お墓参りの本質について:何が供養になるのか?

 

ご先祖様の存在を大切にされている方がとても多くいらっしゃいます。

そこでポイントになるのが「お墓参り」と「供養」ですが、

それに伴って多くの疑問や質問を頂くことがあります。

 

たとえば、

「頻繁にお墓参りに行けなかったり、仏壇が自宅になかったり、

お墓の場所すら分からなかったりする」こともありますし、

 

場合によっては、

「霊能者に供養をお願いしたほうがいいのかな?」と、

代行を考えることもあるかもしれません。

 

「どう考えるのがふさわしいのでしょうか?」

 

まず知っておいて欲しいのは、

「○○しないとご先祖様の祟りがある?ない?」

といった影響や気持ち的な心配は一切気にしなくていいということ

(気持ちは分かるが)そういう気持ちの本質は、

「不安や疑念、恐れ」であって感情エネルギーを作りだしてしまうからね。

 

極論すれば、お墓参りするか否かは個人の自由であり、

何ごとも「絶対はない」んだ。

この「絶対はない」というのは、ひとえに「個人の想いを尊重する」という意味でね。

 

もちろん、真摯な気持ちだからこそ色々な疑問があるかもしれないが、

お墓参りについての多くの見解や疑問を、

現実に置き換えて喩えるとこんな感じになると思う。

 

「私に連絡を取る時は直接うちにくるのが基本だよ。

それがダメなら電話でもいいが、電話するなら固定電話から。

固定電話もムリなら iPhone ならOKで、かつショップから電話してほしい。

それもムリと言うならショップのスタッフにお願いして代わりに電話して欲しいのよ」

 

分かるかな?

 

歴史を通じて連綿と受け継がれてきた「お墓参り」や「供養」を

大切にする意識レガシーには敬意を表するが、

段取りだの形式だのがどうも多過ぎる。

そういうのには縛られて欲しくないとわしは思っている。

 

それを踏まえたうえで続けると、ひとえに、

【お墓や仏壇が供養するわけではなく、想いが供養になる】という一点につきる。

迷ったらコレを思い出して欲しい。

 

「行かなければ」という 【have to】 ではなくて、

「行きたい」という 【want to】 ならば行けばいいわけでね。

やはり気持ち・想いなんだよ。

 

そして、そもそも「供養とは何なのか?」だ。

実は、供養は供養される側ではなく供養する側のためにある。

だからといってご利益が得られるという意味ではない。

読んで字の如し「養う」ことがポイントで、何を養うのか?と言うと、「想い」だ。

 

ご先祖様は亡き御魂であり、

御魂なのだから意識エネルギーとして時空間に存在している。

 

つまりは「いつも傍にいる」から場所やモノよりも「想い」を意識するといい。

その想いとは、「想いを養う」と聞いて(自分が)連想することでいいのだが、

突き詰めると「感謝の想い」になる。

 

そうなると「どんな感謝がベストなのか?」と気になるかもしれないが、

感謝の想いに良いも悪いもない。

感謝はノウハウやテクニックではないからね。

 

こう考えると分かりやすいよ。

親もご先祖様だが、

たとえば遠く離れて暮らす親が気になった時にどういう想いを持つか?

電話したり手紙(メール)するときにどういう感謝のコトバを伝えるか?

 

ご先祖様との関係もそれと同じだ。

細かいことは気にしなくていい。

どこであれ、いつであれ、

純粋な気持ちで話し、感謝の気持ちを持つことだよね。

 

想いとは想念だ。

距離を超えて、時空を超えて、誰にでも・どこにでも届く。

電話やメールよりも便利だし、そういうツールを人間は誰でも持っているわけだから、「想いを伝える」ことがイチバン嬉しいこと。

 

だから、代行を頼む必要もないとわしは思っている。

こっちにいると分かるが、

誰かが代行しても当人が何も想っていなければこっちにはエネルギーはこないし、

逆に言えば、あくまでも当人の想いとつながっているということで、

ウソは通じないということでもある。

 

ただし、「人間は形や実践が伴うと意識にフォーカスしやすい」という

心理的かつ脳的な事情もあるから、

お墓参りに行って手を合わせたり、仏壇の「前で」手を合わせたりすると

供養した実感はあるし、意識しやすいだろうから、

そうするのが素直に好きならば(自分に合っているならば)そうすればいい。

 

これまで続けてきたことを変える必要もないし、

たとえば朝起きて「今日も見守ってくれてありがとう」とか、

 

寝る時に「今日もありがとうございました」って想うだけでも伝わるもの。

 

ちなみに、お墓参りや供養にお金をかける必要はないよ。

もちろんそれも個人の自由だが、

お金によって何かが変わる or 変わらないということは一切ないから。

 

ご先祖様はね、「与えたがっている」んだ。

欲しいものなんてないし「○○してくれないとヤダ」なんていうこともない。

そういう考え方自体もっていないから。

 

スピリチュアル的に言えば、

自分に一番近い「目に見えない存在」はご先祖様になる。

神様でも、エンジェルでも、守護霊でもないんだ。

 

人混みの中で家族の顔がすぐに分かるように、

こっちの世界からそっちを見たとき、

やっぱり家族に目がいくし、気になるものなんだ。

 

だから、ごく親しい身近な存在と、

どういうコミュニケーションを取るか?が分かりやすいと思う。

細かいことは気にせずに、

自分がどうしたいか?を大切にしてほしい。

 

そして、お墓参りに行って墓前に手を合わせるときは、

ムリに何か考えたりしなくて大丈夫。

昔から「神社では祈願」と言うが、

供養は「ただ手を合わせる」と言うよね。

供養にはコトバは不要なんだよ。

この状態が本当の供養の極意だし、これこそが「無」だ。

 

無とはエネルギーのプラスマイナスのバランスが取れた状態で、

この状態が一番エネルギーが通じるし、

このバランスが宇宙で物質を造ってきたわけだからね。