神社参拝で住所・氏名・年齢を名乗る深い意味とは?

 

 

昨今、神社の正しい参拝方法の情報がありますが、

参拝するときは最初に、

「自分が住んでいる住所・氏名・年齢」を伝えたほうが良いという作法があります。

 

その理由は色々あるようで、

もちろん、それらの正誤を論じたいわけではありません。

 

ちなみに祖父も「そのほうがいいかも」と言いますが、

その解説が興味深かったのでメルマガだけでご紹介します。

 

「伝えたほうが神様も祈願者を特定しやすい」

という理由は気持ち的には分かりやすいが、

魂はエネルギーでつながっているから関係ないと言えば関係ないんだ。

 

でも、その実は「使命」と関係しているから、

使命や役割をしっかり自己意識するためには伝えるのは良いと思っている。

(コトバ遊びではないが)使命と氏名は同じ読みで漢字が違うだけだしね。

 

ちょっと話はズレるが聖書では、

神に見初められた(着目された)人物が活躍するエピソードが多くあるが、

見初めた人物に神がアクセスしたとき、

注目された側の人間は「ここに私がいます」と反応し活躍している。

「お前だれ?」とは言わないよね。

 

これは「挙手する」ようなもので、

(実際に神が語りかけたということではなく)、

自分の【内なる声】を知った時に「ソレ、自分がやる!」と、

使命を果たす覚悟を持つという意味なんだ。

 

話を神社に戻すと、

自分の住所や氏名を名乗るのは、

お願いすることを「自分が受けます」

「自分にください」という決意表明になる。

 

そもそも「お願い」とは、

「自分がやりたいこと」

「自分が体験したいこと」であって、

それを「やるよ」と自分に決意する行為なんだ。

 

大切なのはここからで、

その「ください」とは、「○○を叶えて私にください」という、

「確実な結果を自分に与えてくれ」という意味ではないこと。

 

神様(自然・森羅万象)はチャンスを与えてくれるが、

そのチャンスは「原石」なんだよね。

はじめからキレイに磨かれたダイヤモンドはないが、

磨けばとんでもない価値を生む「チャンス」をくれる。

 

お金が実る木はないが、

木を加工することでお金を生み出す作品を作ることができるように

その「研磨や加工」というプロセスもやるのか?

「それも私がやります!」というのが、

住所や氏名を名乗る深い意味というわけ。

 

そこで忘れてはいけないのが、

【自分の内なる声】とは何か?だ。

 

 

「内なる声」とは行動を促す強い動機のことだが、

その内容は様々で、自分にしか分からないものになることが多い。

 

重要なのは、自分がどうしたいか?

何をしたいか?ってことで、

誰か他人の意志ではない。

その「やりたいこと」が「社会のためになること(貢献)」であれば、

いずれ磨かれたダイヤモンドになる。

 

だから、自分がやりたいと思うことは何をしてもいいんだ。

でも「得意なこと」をやるほうがやり易いのも事実で、

皆それを生まれてくる時に一応決めてきているし、

それは自分の魂から確認することができる。

それを自ら気づくことが【内なる声を聞く】という意味になるんだ。

 

自らの使命に気づき、

自分(氏名)がその役割を担い、

それを社会に与えていく。

 

使命は、社会への貢献において役割が明確になり、

役割を実行することで天命となる。

 

天命とは、

使命を実現化していく状態を継続させることで完成し、

天命を自認できると死後に魂は未練なく成仏する。

 

ということで、分かりやすく言えば

【神様は欲しいものではなく、

「あなたが担う役割の遂行」を助けてくれる存在】になる。

 

だから、もし参拝するときに特定の神様を意識する場合は、

お願いすることを「私がやります」、

「私にさせてください」という意識をもってごらん。

それは「あなた」に与えられるから。