日本人の精神性:

禅や仏教を取り込んだ日本人のセンスが豊かさを叶える

 

今回の記事のトピック

・神様にまつわる素朴な疑問

・受け継いだ精神性とは?

・禅や仏教を取り込んだ日本人のセンス

・精神性が神を生み出し、魂を宿らせた

 

前回のメルマガで告知したように、今回は「神様」について扱いたいと思います。

でも、タイトルを見て「精神性と神様ってどんな関連があるの?」と思ったかもしれません。

そこで今回は(神様についてはブログでも多々扱っているので)、

ちょっと違った視点のお話を紹介します。

 

これは、祖父との対話集【魂の掟】ではカットされた内容でもあり、

定期的に開催しているスピリチュアルツアーでのみ紹介しているお話ですが、

多くの良い反響を頂いているトピックです。

 

結論から言えば「神様はわたしたちの何に関心を持っているか?」ということですが、

ちょっと哲学的かもしれません。でも、魂の掟の本質的なエッセンスです。

今度 神社参拝するときの参考になれば幸いです。

 

 

<神様にまつわる素朴な疑問>

ところで、海外の人とちょっと突っ込んだ話になると、

「お前たちの神は誰なんだ?」と質問されます。

 

もし「日本の神様の名前を教えてくれ」と言われたら皆さんはどのように答えますか?

たぶん困ると思います。私も困ります。

幾つもの名前が出てきてしまうからです(笑)。

 

そして、たとえば勉学のお願いは天満宮に、

商売のお願いはお稲荷さんに、縁結びなら出雲大社へなど、

昨今は「ご利益に特化した神様へお願いする」という

「神様の使い分け」が話題になりますが、

海外からするとこの「使い分け」もピンときません。

 

そこで彼らはこう言います。

「じゃあ、お稲荷さんに勉学のお願いしたら叶わないってことか??」

 

たぶん私たちは「いえ、そういうわけではありません」と答えるでしょう。

理論的に考えるとおかしな話なのですが、

それをすんなり受け入れていることが今回のキーになります。

それが【精神性】です。

 

 

<受け継いだ精神性とは?>

春に出版される私の本では「理想を叶える秘訣」を紹介していますが、

その秘訣とは【代々受け継いだ精神性を継承して自分も発揮すること】です。

そして、「代々受け継いだ精神性」を個人レベルではなく、もっと大きな視点で捉えれば、

「日本人として」代々受け継いだ精神性を継承することとなります。

 

受け継いだ精神性の解説と精神性を判断するポイントは本に譲りますが、

簡単に言えば「何に関心を払ってきたか?」という【着眼点】のことで、

言い換えれば「日本人の着眼点」です。

 

精神性 = 関心事 = 着眼点

 

「ここが神様を意識する際にとても大切になる」と祖父は言います。

 

つまり、受け継いでいる精神性と神様はリンクしているということで、

神様と同じ精神性・関心事・着眼点と、自分のそれとを合わせることになります。

 

そして、もっと大切なことがあります。

それが冒頭で述べた、「神様の名前を即答できない」ということと関連してきます。

 

よく八百万の神と言いますが、それは、対象が「自然」だったからです。

これは、人は自然の恵みがなければ生きられなかったので(今も同じですが)、

生きるために必要なモノ・コトへ感謝の念を持ったことに起因しています。

 

そして、自然は豊穣です。

その豊かな自然を自然たらしめている森羅万象のエネルギーは多種多様ですが、

その多様さを微細に感じ、各々に名前を付けたのが日本の神様となり、

多様だからこそ数多く(八百万)の神様が出てきたわけで、

「神様ありき」ではなく「エネルギーありき」だったということです。

 

簡単に言えば、一神教が主となる海外では、

物質(結果)があるならば、それを造った「存在」があると考えます。

でも日本人は違います。

 

物質(物事)があるということは、

それを成り立たせている「要素(本質)」があると考えます。

ここには【感じる(見る)深度の違い】という点で大きな違いがあります。

 

そこで3つのキーワードが出てくると祖父は言います。

【本質を捉えるセンス】

【感謝の念】

【豊かさ】です。

先ほどの式に追加してみましょう。

 

精神性 = 関心事 = 着眼点 → 本質を捉える = 豊かさ = 感謝の念

 

ここで、本質を捉えたことで豊かになった例を考えてみましょう。

 

 

<禅や仏教を取り込んだ日本人のセンス>

海外でも仏教や禅などへの興味や理解があります。

そして、それが日本人の精神性だと認識していることが多いです。

が、そこで私が言うのは、

「確かにそうなのですが、仏の教えや禅はどれも外来だったんです。

でも、それを取り込んだ日本人のセンスに興味はありませんか?」

と話すと俄然 興味を持ちはじめます。

(外来だからと言って優劣の話ではありません)

 

皆さんもご存知のように、仏教も禅も外来で、

それぞれ別々の時代に外国から日本に伝わっています。

 

歴史では仏教は飛鳥時代に、禅は鎌倉時代に伝来したそうですが、

特に仏教伝来後に(いわゆる)神道か?仏教か?を争う戦いがあったことを考えると、

それまでに何かしらの精神性が確立されていたことが分かります。

 

これを海外の人は「神を巡る戦い」と捉えるのですが、

そうではなく、実際は為政者の権力闘争に信仰心が介在しただけであったことを私たちは分かっていますし、日本でそんなことがあったの?」という違和感さえ憶えるくらいです。

 

そこで、すべてを融合して「和」を重んじたわけです。

 

何が言いたいのか?と言うと、

何が正しいか?間違っているか?という判断基準ではなく、

個々の良いところを取り込んできたことです。

 

もし仏教や禅の観念が入ってこなかったら(もし排除してしまっていたら)、

今私たちを惹き付ける(海外をも惹き付ける)「侘び寂び」はなかったかもしれません。

でも、それらを取り込んだうえで、さらに良さをスケールアップさせています。

 

【良いところを見抜いて尊重するセンス】

【お互いに豊かさへと昇華するセンス】

「これが日本人が受け継いだきた貴重な精神性であり、

徐々に作り上げてきたものではなく、元々もっている精神性だ」と祖父は言います。

 

 

<精神性が神を生み出し、魂を宿らせた>

最後に祖父のコトバを紹介して終わります。

 

誰にでもステキなところがたくさんある。

「悪いところしかない」なんていう人は一人としていない。

時には、価値観が違うことでお互いに「?」と違和感を覚えたり、

感情的になることもあるかもしれない。

でも、それで流されてしまったら代々受け継いだ精神性とはズレてしまうよね。

 

日本人はいつも「魂」を意識し、多くの魂(スピリット)を取り込んで発展してきた。

魂は豊かになることを求めている。

それは自分だけでなく、関わるすべての人の豊かさも。

魂の目的をそのまま精神性として受け継いでいるのが日本人だとわしは思っている。

 

だから、今度神社に行ったら、

「皆様にステキなことがたくさん起こりますように」ってお祈りしてごらん。

そして、「そのために私ができることを教えてください」って。

そしたらウレシイことが起こるよ。

 

だって、それが魂の目的だから。それが日本人が受け継いできた精神性だから。

その精神性が「八百万の神様」をつくったんだ。

そこに魂を宿したのも(宿らせたのも)日本人だ。

だから神様も同じ精神性を持っている。

 

精神性をブレンドしてみようよ。

相手の良いところを見て、尊重して、お互いに豊かになるように意識するんだ。

そうすると本当に豊かになれるよ。