苦労の深い意味。

 

 

今回は苦労の意味について考えてみます。

 

一口に苦労といっても、

買ってでもすべき真正の苦労もあれば、

出来ることなら避けたい残念な苦労もあります。

 

その辺を少し整理してみましょう。

まず苦労の種である“問題”の仕分けをします。

 

『魂の掟』では人生に起こる問題を3種類に分けて説明しています。

1:取組まねばならない先天的な問題

2:警告としての後天的問題で、意味があるもの

3:我欲が引き起こす後天的問題で、意味のないもの

 

それぞれの問題の発生理由を簡単に説明すると、

1:魂の目的に沿った研鑽を積むために用意される

2:目的から逸れたために軌道修正を迫るサイン

3:カルマ感情の発動により勝手にこさえたもの

 

1の問題であれば何がなんでも向き合わなければなりませんが、

魂の目的が何なのか分からなければ判別ができず、

結果、途中で放り出してしまうことも多く残念でなりません。

 

魂由来の問題に真摯に取り組めば、

苦労は必ず大きな成果をもたらしてくれるのですから。

 

 ◆A子さんの場合

A子さんは遠い故郷で暮らすご両親を相次いで亡くしたとき、

介護をしてあげられなかったことを悔やみました。

 

そこで、子供が大きくなり時間にゆとりができると、

お年寄りの介護に携わりたいとケアセンターで働きはじめます。

 

しかし上司となる一回り若い女性は、

自分の仕事である入所者家族との渉外役にA子さんを使います。

 

施設運営のクオリティの低さも手伝って、

A子さんは朝から晩までクレーム対応に追われ、

9ヶ月後には心労で倒れて離職を余儀なくされました。

 

次の職場は医療設備をもった老人ホームでした。

そこでは看取りの立ち会いという任務を任されます。

 

臨終の際で家族が最期の別れを告げる場をA子さんは見守ります。

そこでは故人との関係性、信頼の度合い、情愛の深浅が表れると言います、

看取る者が一人も来ないケースが一番堪えたと苦笑します。

 

A子さんはここで1年ほど勤めた後、別の事業所へ出向します。

新しい職場ではお年寄りに触れ合う時間は持てたものの、

不慣れな文書作成の仕事もしなければなりませんでした。

 

報告書からはじまって、施設の掲示物、入居者家族との往復通信、

広告コピーや行政への書類まで、来る日も来る日も作文に追われます。

 

そんな中、あるお年寄りとの会話から『想いで日記』が生まれます。

遠い過去の出来事を、まるで今体験しているかのように書き記すのです。
施設はいつも笑いと感涙に包まれるようになりました。

A子さんは施設になくてはならない存在になったのです。

 

◆A子さんはものを書くことがトラウマだった

十代の終わりごろのことです。

A子さんは恋をし、当時の自分の言葉では表現できない

「心の中の思い」に出会ったのでした。

 

その「思い」を表す言葉を探そうと小説に夢中になりました。

しかし西洋のロマンスにも東洋の詩情にも見つかりません。

 

いつしか自分でも表現を試みるようになりますが、

どうしても言葉に表すことができません。

 

無常にも時間は過ぎてゆき、

A子さんは思いを伝えられないまま彼と離ればなれになります。

 

言葉を扱う自分の限界をさとったA子さんは、

それ以来表現することに背を向けて生きてきました。

思いを押し殺していることに気がつきながら。

 

時を経てA子さんは現在、ケアマネージャーとして活躍する傍ら、

自分史を取り入れたまったく新しい終活指導をはじめています。

 

A子さんの自分史は、

かけがえのない人たちとの出会いを軸に人生を振り返り、

互いに影響を与えあうことができた奇跡を評価することで

自分の価値を再発見するというものです。

 

生徒たちは生き生きと輝き、

残りの人生を心から楽しむようになったと言います。

 

「両親への罪滅ぼしのつもりで始めた介護の仕事でしたが、

苦行のような毎日になんど辞めようと思ったことか・・・。

続けられたのは何か見えないものの後押しがあったからだと信じています。

それが両親なのかは分かりませんが、

生き甲斐となる仕事に出会えたことにいつも感謝をしています」

 

◆解説・A子さんの3つの苦労

A子さんが使命に就くまでの体験の中に

3つの苦労が見え隠れしていたことにお気づきでしょうか?

今日は一つだけ解説してみますね。

 

最初の施設での苦労は第3の問題が招いたものでした。

A子さんが放った「罪滅ぼし」というエゴがブーメランのように当人に還り、

まったく無関係者のエゴのはけ口にされたのです。

 

もちろん罪滅ぼしがエゴというワケではありません。

両親への罪意識を関係のない人たちで解消しようとしたことがエゴなのです。

両親への感謝が出発点であったなら、当然ことの成り行きは違っていたでしょう。

 

ただ、そこでの経験も後の事業の肥やしになったのは、

A子さんが「やりきった」からなのです。

 

A子さんの潜在能力は『表現する』ことで真価を発揮しますが、

ここを完全に封じられることは致命的に苦しかったでしょう。

 

若き日のトラウマにより、表現することに背を向けて生きてきた報いでもあるでしょう。

与えられた能力を自ら封じる愚に出れば、取り上げられても文句は言えません。

その場合、幸福や成功とは完全に無縁となるのが必定です。

意味もなく備わった能力というのはありません。

発揮しなければいけないのです。

 

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