◆「スピリチュアル終活」過去記事 ◆

死後の世界の実態とは?

こちらのページでは、以前のブログ「魂の掟」(閉鎖)にて扱われた「死後の世界の実態」に特化した祖父との対話を紹介しています。

 

この「死後の世界の実態」にまつわる対話は「原本:魂の掟」にも収録されなかった特別な内容になっていますので、どうぞお楽しみください。

 

尚、私と祖父とのやりとりをそのまま記載しているため、直接的な表現が多々ありますことご了承ください。

 

石川大智

 

※ 私と祖父の対話形式になっています。太文字が祖父の言葉です。


<もくじ>

終活001 死後の世界は他人事ではない!

終活002 霊界にまつわる大きな誤解とは?

終活003 魂の実態とは?

終活004 憑依現象の実態とは?

終活005 霊界の構造とは?

終活006 既存の概念は無意味!

終活007 成仏の実態とは?

終活008 正しい知識の価値とは?

終活009 カルマの実態とは?

終活010 輪廻転生の実態とは?

終活011 新しい「人生の定義」とは?

終活012 死後の審判の実態とは?

終活013 死後のステップ① 最初の分離

終活014 死後のステップ② 三途の川とは?

終活015 死後のステップ③ 感情の回想

終活016 死後のステップ④ 人生軌道の確認

終活017 死後のステップ⑤ 感情エネルギーとの決別

終活018 死後のステップ⑥ 意識の同化

終活019 意識の共有とは?

終活020 ソウル・グループの実体とは?

終活021 スピリチュアル知識との付き合い方。

終活022 根源意識での魂の状態

終活023 スピリチュアル界のマッピング

終活024 信仰の実態は恋愛と同じ

終活025 臨死体験では霊界に行かない?

終活026 誰が決めているのか?

終活027 根源意識から「個の魂」が出る理由


<終活001 死後の世界は他人事ではない!>

 

死後の実態を知れば、天国への行き方と、天国での生き方が分かる。それは、「今」の生き方にかかっている。
「したこと(業績・達成・言動・行動の良し悪し)」で行き先が変わることはない。すべては「死ぬ瞬間の心持ち」、死ぬ瞬間にどれだけ「豊かな心持ち」が持てるかどうかで決まる。
でもそれは、いきなり持てるものでもない。突然の死もある。
だから常日頃の感情的安定・平安が重要になる。つまり「常に何を感じて生きているか?」だ。

そして、魂の本質的なエネルギーの実態を知ると、人生での成功の仕方も分かる。昨今の成功の奥義は奥義でも何でもない価値のないものだ。

それはなぜなのか?
それが、こっち(霊界)に来てよく分かった。




そもそも霊界に関わる祖父との対話は、宗教にまつわる私の人生体験が発端だった。

私はまず仏教系、その後はクリスチャン系の宗教を信奉する家庭で育ってきたため、各々の「生死感」を教わっている。

仏教系では、当然ながら「天国と地獄」の世界観を教わる。
幼い頃にお寺で地獄絵図を見たとき身体が震えた記憶がある。「ウソをついただけで永遠の責め苦にあうなんて…」。パンを盗んで終身刑を言い渡されたジャン・バルジャンよりも酷いじゃないかと。生きれるだけ、まだこの現実世界の方が楽だし希望があると思えて仕方なかった。

一方クリスチャン系には、「天国と地獄」の概念をもつ宗派もあれば持たない宗派もある。さらには「煉獄」という天国と地獄の中間エリアがあるとか言い出したり、私がいた教団はもっと特異で、「死んだら『無』。記憶も意識も何も残らない」という定義だった。
昨今のスピリチュアル・ブームにおいては「地獄はある」と言うケースもあれば、「死後苦しむことはない」と両極端な意見もある。

つまり、死後の世界についての概念には共通要素があるものの、その詳細についてはまったく分かっていない。「大体こんな世界だろう」という曖昧な概念が既成事実として受け継がれている。
では、曖昧な理解で何がいけないのか?

たとえば「ロシアってどんな国?」と聞かれれば、「こんな国だと思うよ」と誰でも説明できる。
行ったこと無くても正確なことを知らなくても困らない。なぜなら、「そこに行く」という実感も必然性も無いから。しかし「死」は違う。たとえロシアに行くことは無いとしても、誰でも死後の世界には必ず行くことになる。
もしかしたら、明日にも。
 
この一連の「スピリチュアル終活」にまつわる対話では、死後の実態についての正しい知識をお伝えする。なぜなら、死後にどんな体験をするかを知っていないと、死後だけでなく、「今」の人生であなたが困るからである。
ガイドブック「地球の歩き方」の霊界版とおもって頂きたい。

まずは、そもそもの疑問「死後の世界って本当に存在するのか?」。
そこからスタートです。

***

そもそも、死後の世界って本当に存在するの?

 

あるよ。

 

どうしてそう言えるわけ?

 

今わしがそこにいて、お前さんと話しをしているからだよ(笑)

ま、そうだけどさ(笑)
何か具体的な説明はないの? 「あ! ホントにあるんだ!」って納得できるようなさ。

じゃあ逆に質問じゃが、どういう説明をしたら納得できるのかな?

 

どういう説明をされたら納得できるか?
そういう問題?

そういう問題だよ。
「じゃあ、こっちに来れば?」なんて気軽には言えないじゃろ。
来たかったら来てもいいが(笑)

いや、行く気はないけどね(笑)
でも、興味はある。

そう、それだよ。
「興味がある」という表現。

 

 

<終活002 霊界にまつわる大きな誤解とは?>

 

興味を持つ対象になっていること自体が、死後の世界はあることを物語っている。

いやぁ、それでは実在性の証明にはならないでしょ? もっと科学的な論法とかさ。

じゃあ、科学的な見地から言おうか。
「死後の世界は、あると信じればあるし、ないと信じれば、ない」。


いやいや、禅問答は期待してないの(苦笑)

禅問答ではないよ。それが真実なんだから。

科学的にも、スピリチュアル的にもね。

なんで!?

霊界の実態が感情エネルギーだから。
結論から言えば、死後の世界はある。ただし物理的な意味でどこかに存在しているわけではない。すべてはエネルギーだから。


霊界は感情エネルギー? 霊界は魂の世界でしょ?

違う、魂は霊界とは別だよ。死後、魂が霊界に行くというのは大きな間違いだ。

死んだ魂は霊界には行かない。

じゃあ、何が天国と地獄に行くの?

感情エネルギーだよ。
天国は平和な世界ではないし、地獄は責め苦の世界でもない。もし地獄に行ったとしても、そこで苦しむことはないし、天国に行ったとしても「極楽浄土」を感じることもない。

キレイなお姉さんはいないし、酒もない。

あはは(笑)でも、それは今まで教わってきた霊界の概念とは全く違うよね。
もし地獄に行っても苦しまないならば、今生では何をしてもイイってことになるよね?

ま、そうだね。

人を殺しても?

人を殺した罪は現実界で償うことになるから、霊界で償う必要はない。
あのな、何をしたか?しないか?で、天国と地獄の行き先が変わるというのも大きな間違いだ。人を殺したから地獄に行くと決まるわけではないし、誰も殺していないから天国に行くことが約束されるわけでもない。


えぇ?? じゃあ、良心も、モラルも、マナーも何もかも関係ないってこと? それが事実だとしたら、何が人間を自制させるわけ? 「自由奔放、万歳!」ってなるよ。

ま、うわべだけを観ればね。でも実際はそんなに軽い話しではない。もっとシビアだよ。

シビア? どこがよ!? 「何をしても怖くない! 悪いこともやっちゃえ!」ってなるでしょ。

それが、そうならない。結果的には「謙虚がどれだけ大事か?」ということを思い知らされるようになる。

 

大丈夫、順々に説明していくから。
とりあえず、細かい説明は抜きにして色々なトピックの概要を扱っていこうか。その後に、詳細を扱っていくとしよう。

 

 

<終活003 魂の実態とは?>

 

じゃあ、天国と地獄ってどんな世界なの?


それを知るには、そもそも「魂が何か?」を知らないといけない。
魂は死んでも霊界には行かないし、魂の実態を知れれば、霊界の構造も分かるし、天国と地獄の実態も分かる

まず、魂とは意識エネルギーであり、「魂=意識」ということになる(意識が何か?については追って話すから、このまま話しを続けるよ)。
そして、転生して人間として生まれる時には、魂は「感情」を抱き合わせて生まれてくる。つまり人間の魂は「意識」と「感情」という2つのエネルギーで構成されている。

・純粋な魂=意識だけ

・人間の魂=意識 + 感情

さて、死んだ後の魂(意識)は感情エネルギーと分かれる。「意識」はそのまま魂の世界へ。そして「感情」は他の世界へと戻るわけだ。この「感情エネルギー」が戻る世界が「霊界」だ。つまり、霊界とは感情エネルギーの溜まり場ということになる。

     魂界 = 意識世界
    ↗︎
死んだ魂
    ↘︎
     霊界 = 感情世界

霊界が感情エネルギーの溜まり場であることは、憑依現象を観察すれば分かる。

 

 

<終活004 憑依現象の実態とは?>

 

たとえば、憑依現象。
何か霊的な存在が取り憑くと、憑依された人間は予想できない言動を取るようになるが、そこには「主義・主張」がある。つまりエゴがあるわけで、それは感情の作用による。エゴは感情だから。
また、幽霊を見ると「怖い」と思うだろ? それは感情が反応しているからだ。つまり、どんな心霊現象であれ、それで恐怖を感じるということは、それは感情の連鎖が起きていることになる。なぜなら、霊界が感情エネルギーだから。

本当にそうなの?

波動は同じ波動に反応(同調)することは科学的にも証明されているが、心霊現象で「怖い」という感情反応が起きるということは、そう感じさせたほうも感情であることを証明している

なるほど。確かにそうだ。

逆に、憑依には「嬉しい・幸せ・テンションが上がる」というポジティブな感情反応もある。
意味なくテンションが上がったり、気持ちが高揚するのも感情エネルギーの憑依だ。それが分かり易いのがパワースポットだろう。パワースポットに行くと癒されることが多いが、妙にウキウキしたりする場合もある。それはポジティブな感情エネルギーの憑依ということになる。心霊現象はネガティブで怖いものだというイメージがあるだろうが、ポジティブなものも多い。
ということは??

ネガティブ憑依とポジティブ憑依があるわけで、それが霊界の感情エネルギーとの連鎖反応ということになる。

そう。これで霊界の構造が見えてくるよ。

 

 

<終活005 霊界の構造とは?>

 

つまり、ポジティブな感情エネルギーが溜まるエリアが「天国」。ネガティブな感情エネルギーが溜まるエリアが「地獄」だ。そして、その中間レベルのエリアもある。要は「バランスの取れた安定した感情エネルギー」が溜まるエリア。この結果、霊界の構造は三層構造だとわかる。


<霊界の構造>(三層構造)

①天国 = ポジティブ感情エリア
②中庸 = バランスの取れた感情エリア
③地獄 = ネガティブ感情エリア

どのレベルのエリアであれ、霊界には感情エネルギーしか存在していないから「意識」がない。つまり、「苦しむ」とか「安楽」といった体感的な認識がない(認識できない)世界ということになる。

ということは、つまり、、、

地獄で苦しむこともないし、天国で安楽を感じることもない。そこがどんな世界かを認識するのは感情ではなくて意識だから。

 

なるほど!

 

意識は霊界ではなく「魂の世界」にある。
人は死ぬと「意識」と「感情」が再度分かれて別々のエリアに戻るわけだが、一般的に認識されている「死んだら天国(地獄)に行く」というのは不完全な理解で、魂は霊界には行かない。霊界は感情エネルギーだけが戻る。
つまり、死後の行き先で悩むことは必要はないし、死後に自分はどうなるか?と心配する必要も一切ない。

ちなみに、「憑依」とは、霊界にいる霊者が勝手に取り憑こうとして起きるわけではない。
生きている人間の感情エネルギー(気持ちの具合い)に応じた波動的な連鎖現象であり、霊者の思惑があって起きるわけではないんだよ。
もっと言えば、「霊者」というのも間違いだ。霊界には「何かをしよう」(例えば、憑依しよう)と意志を持った存在はいないから。憑依とは、あくまでも感情エネルギーの連鎖反応だ。

 

整理すると、意識がないから死後に苦しんだり楽しんだりしないとしても、霊界の天国と地獄、そのどちらに行くかを決めるのは、当人の感情の傾向次第ってことになるよね?

その通り。

でもさ、人を殺したら「地獄に堕ちる」とか言うでしょ? 悪いことしたら地獄で苦しむとか。
感情を軸にして説明されると実に分かり易いんだけど、これまで教わってきた概念とは大きく違うよね? 「やったこと」が天国か地獄かの行き先を決めるというのと食い違ってこない?

食い違ってこないよ。

 

 

<終活006 既存の概念は無意味!>

 

そもそも、物質世界に生まれたら様々な体験をする。完全な人間などいないから、良いことも悪いこともする。でも、もし悪いことをしたとしても、その償いを「死んでからする」のは意味がないよね。


意味がない?

意味がないんだよ。だって、霊界で償うことに一体何の意味があると言うの? 「現実的に」傷つけたわけでしょ? 
よーく考えてごらん。悪いことは「相手に対してしたこと」であり、それで傷つくのは、悪いことをした人間ではなく「された側」だ。ならば、その相手に対して償いを行うのがスジってもんだろ? それを、なぜ悪いことをした人間が自分に対して独自で償わないといけないの?
まったく意味がない。

確かに。
でも、それは「反省を促すため」では?

自分の悪行を対外的なレスポンスもなく反省するなんて意味がない行為だ。人間は自分に都合の良いように物事を考えるから、単独の反省はダメだ。
つまり、「悪いことをした結果として地獄に堕ちる」という概念は理論的に破綻している。逆もしかりで、「良いことをしたら天国に行く」というのもオカシイ。善行をして自分で満足するなんて、どれだけナルシストなんだろうね。もし悪行をしたなら、それを償うのは現実世界でしか効果と価値がない。だから、転生がある。

かなり現実的な見方だよね。なんかスピリチュアルっぽくないな(笑)

でも、これが霊界の現実だから。

じゃあ、何を目的に生きたらいいわけ? 「悪いことをしたら地獄に行く」という概念が自制を促し、「良いことをしたら天国に行く」というのが一つのご褒美的な概念になって善行・善良を促すという「効果」もあるのでは?
逆にそれが無いとなったら、生死の価値も見出せなくなってしまいそうだよ。

それは、「死後の世界=霊界」という固定概念があるからだよ。
さっきも言ったように、死んだら魂は魂の世界へ、感情エネルギーは霊界(と一般的に言われている)エリアに行く。意識を持つのは魂だから、その魂の世界がどれだけ素晴らしい世界かを知れれば、死は「新しい期待」となる。それこそが、悪行への本当の自制効果になり、善行への本当の促しになる。

なぜ、正しい死後の概念が教えられてこなかったわけ?

ひとつの理由は、スピリチュアルの実態が昔と今とでは変わってきているから。
昔は「地獄」と言えなくもない霊界もあったのは事実だ。でも今は違う。また、地獄や天国という概念を提示することで宗教側は信者を集めやすかったという理由もあるし、お金も手にしやすい。
さらに他に理由は(これが最大の理由だが)、いよいよ現実世界と非現実世界、リアルとスピリチュアルとのエネルギーにおける連動が強固になってきらからだ。

整理しよう。わしが言いたいのはこういうことだ。
死後の世界の概念として一般的に認識されている概念は、魂の世界と霊界、各々の情報が混在している。これを整理しないといけないってことだ。

なぜ整理しないといけないの?

死後、魂が困惑するからだよ。

魂に困惑する?

 

 

<終活007 成仏の実態とは?>

 

死後の世界について正しい理解を持っていないと、死後に魂は困惑してしまうんだ。その結果、成仏できなくなる。

そもそも、成仏ってなに?

肉体に宿っていた魂が、死後に然るべき根源意識(魂エリア)に戻ることだよ。スピリチュアル的な言い方をすれば、「感情エネルギーと分離して魂エリアに確実に戻れること」が成仏の真意だよ。

なぜ成仏できない事態が発生するわけ? 成仏できないとどうなるの? 幽霊として現実世界を徘徊するとか?

成仏できない理由は、自分の感情に執着するからだ。

一般的には「現実世界に未練があるから成仏できない」とか言われているが、それは不完全な理解だ。

「なぜ、未練を持つのか?」。

その原因が重要であり、それが「感情」なんだよ。

人間はそれぞれに、自分の好きな感情的傾向がある。結局、生きていく上での原動力は「感情的満足を得たい」からで、それを得ようとするために生きている。そして、その感情的満足の内容にも色々あって、それが当人の価値観を決めるわけだ。

成仏できないと、魂(意識)は感情エネルギーと分離できないから、魂エネルギーの基点が、本来いるべきではない霊界に置かれていることになり、魂は癒しのエリアに戻れないことになる。要は、魂の休息が得られない「魂の不眠状態」が続くことになるから、その魂は何かしらのエネルギーチャージが必要になる。それを「憑依」することで人間からチャージするようになる。つまり成仏できない魂は「介助が必要な魂」であり、自立できない魂ということになる。そういう状態にある魂が一般的に「幽霊」として認識されている。


なるほどね。おもしろい!
その前に整理する必要がある。霊界の定義を変えないといけないよね。

そうだな。死後に意識が行くのは霊界ではなく「魂界」であり、いわゆる「死後の世界」とは「魂界」のことを言っている。「霊界」とは感情エネルギーの溜まり場であり、そのレベル(上下)の違いで感情エネルギーの質が変わるから、高いエリアを天国、低いエリアを地獄と言っている。一般的には、この魂界と霊界の景色が同じエリアだと思っているが、それは違う。

わかった。でもさ、ちょっと質問させて。
そもそも論になるけど、成仏の実態が未練であろうが感情への執着であろうが、正直どーでもいいことでは? だって、死後に天国も地獄も体感しないのなら、成仏できなくても困ることはないわけでしょ?
死後の世界の詳細な情報を知れることは(スピリチュアルに関心がある俺としては)知識欲が満たせて楽しいけど、知ったところで「だから?」ってなる。この情報を知れることの価値って何なの?

それだから人生に迷うんだよ…

え? 人生に影響を与えるの?

大いに関係してくるよ。

 

 

<終活008 正しい知識の価値とは?>

じゃあ、逆に質問するが、人生って何だと思う?

それは、なに?

「安心と安定を獲得するため」だよ。なぜか?は、前に話した。人生の意味なんて難しくない。結局のところ、「生存の安全性の確保」でしかないから。だから働いてお金を貯めるし、家を持とうとするし、愛する人からも愛されたいと思うし、成功したいと思う。そのレベルは人それぞれだが、その達成度合いで満足度が変わり、自分の望むレベルより高い達成レベルの人間を観ては「いいな」と羨ましがる。逆に言えば、達成できないことで後悔し「やり残したことがある」と言い出す。

で?

今言ったのは、現実世界での人生の意味だ。しかしな、こちら側に来るとまったく違った価値観になる。つまり、人生を決める要素・核心が何にあるのか?が分かるから、生きている時に「何を意識して生きればよかったのか?」、その基準が生きている時に思っていた価値観とは違うことが分かり、「あ、それで人生の質が決まるのか!」と驚愕する。

何で決まるの?

「感情」だよ。すべては感情でいかようにも変わってしまう。だから、こちら側に来てから分かった現実世界での人生の意味の定義は、「感情の安定」の一言に尽きる。

感情の安定?

そう。魂(意識)エネルギーによる感情エネルギーの安定化が魂の学びであり、感情エネルギーの浄化が輪廻転生のテーマになっている。たとえば、臨死体験や催眠療法での死後の話しには、必ずと言っていいほどに「幸せに満ちるエネルギーを感じた」という表現が出てくる。

それは、言葉では表現できないものだから一般的には「愛」という言葉で表現しているが、そのエネルギーは「感情的な満足エネルギー」なんだよ。感情的充足感のパワーで満ちているのが魂の世界だ。

だから人間は幸せを求める。幸せとは、感情的に満たされた時に感じる充実感だから。要は「すべては感情次第」であり、その実態をこの対話で話しているわけ。だから、現実世界でも感情を意識することが絶対的に必要になる。

ま、詳細は追って話すから、話しを戻そう。

 

つまり、死後の世界についての正しい理解を持つと、要は「成功できる」。成功するための方法がわかる。それは、お金の流れに反映されてくる。わしはそれが生きている時は分からなかった。感情が通念であることが分からなかったから自分の理想も十分に達成できなかった。でも、感情の安定が重要であろうとは常々思っていたから、「寡黙で多くを語らず、礼儀を尽くすこと」だけを意識して生きていた。結局のところ、「感情の不安定さが経済的不安定さに反映される」ってことだ。

そして、
正しい理解を持つと「やり残すこと」が無くなる。これは重要なことだ。

さっきも言ったように、生きている時は、何かを「達成すること」に注力するが、それだと「達成できない」という事態を招いた時に悔いが残ってしまう。でも、「相手の、そして自分の感情を満たすこと」に特化すれば、幸せ・やり切った達成感などすべてが自ずと付いてくる(達成できてしまう)。若いときは「いつかできる」「まだ時間がある」と思うが、人生の終わりが視界に入ってくる歳になると「あれもしたかった」「これを言いたかった」など、未完了な要素への後悔と焦りが出てくる。それを改善できるのは「自他の感情の安定」を計ることでしかない。

いいか、幸せになりたいのなら幸せを追いかけてはいけない。
成功したいなら成功を追いかけてはいけない。
お金持ちになりたいなら、お金持ちを目指してはいけない。

それよりも、幸せ・成功・お金のエネルギーの実態が感情だと認識を変えることだ。これこそがわしがずっと言ってきた「意識改革」だ。感情エネルギーの作用をよーく理解すること。それを自分の言動・判断に適応すること。
「じゃあ、どうしたらいいのか?」。それをこの対話でこれから話していく。単に霊界の知識を知っても価値がないから、それを実践として応用できる知恵を伝えたいんだよ。


そうか。なんか不思議だな。これまでありとあらゆるスピリチュアル本を読んできたけど、こんな視点・概念・解説は今まで一度も読んだことがなかった。

そこで疑問なんだけど、カルマも感情にまつわることだよね? 「やったこと」が繰り越して「やり返される」(仕返しされる)わけではない、と?

 

 

<終活009 カルマの実態とは?>

 

カルマの実態を知れば、カルマを恐れる必要がないことが分かるよ。今生で、または来生でどんな仕打ちを受けるか?を心配することもなくなる。そもそも、既存のカルマの概念が間違えているからね。

まず、カルマは「業」と言われていて、「やったこと」の良し悪しが自分に還ってくることだと認識されている。でも実際は違う。カルマとは未消化の感情の持ち越しのこと。要は、やったことではなく、その言動を取ろうとした原因の感情が問題になり、その感情の消化のための反動(仕返し)がカルマだよ。

極論すれば、人を殺したから自分が殺されるのではなく、殺すというアクションを取らせた感情が重要だってこと?

その通り。
問題は、「未消化」の感情とは何か?ってこと。


じゃあ、人を殺すことで「スッキリした!」と実感してればいいってこと?

それは違う。それはアクションを起こした後の感情だろ? さっきも言ったように、その言動を取ろうと思わせた感情・動機が重要になる。

アクションを起こすとき、必ず動機がある。その動機とは「当人にとって」都合の良い理由(本人とっての合理的な理由)がほとんどだ。たとえば、「ムカついたから」「イラつくことされたから」など理由は様々でも、それは当人の都合だ。

問題は、その動機の正当性・妥当性を考えないこと。つまり、「この感情は、これから取る言動の正当な理由か?」って考えないことにある。それを考えないで行動を起こすから間違える。いわゆる「感情的になる」ってことだね。
逆に言えば、誰かから(何かから)どんなに苦々しい感情を引き起こされても、その背景・事情まで配慮できるかどうか? 冷静な人間になれるかどうか? これが重要だ。


結論から言えば、冷静になれずに感情に任せた言動を起こしたとき(それが自分にとって正当な理由であっても)その言動には必ず「感情的なシコリ」が残るから、結局は、感情の消化にはならず後悔・悔恨が残る。これが未消化の感情だ。その悔恨の感情がカルマであり、それが必ずどこかで自分に還ってくる。そして、この仕返しは「仕返ししてやろう」という人間的な(もしくは霊者の)思惑で起きるのではなく、エネルギー作用(反作用)で起こることだから、誰かを、もしくは霊者や死者を恐れる必要はない。

もし仮に、人を殺したから今生で殺されるという「やったこと」へのはねっ返りがカルマだとしたら、人間のほとんどは殺されてるよ。皆が皆何かしらの暴力・暴言・大変な事態を体験してしまう。なぜなら、誰であれ過去生では人を殺したこと、それに類することをしているから。要は「カルマは感情次第」だと認識すること。

単純に考えてごらん。「仕返し」とは、殴られたから殴り返すのではなく、殴ってきた相手の「気持ち」が許せないから殴り返すんだよな。何だってそうだ。人間は必ず感情に反応する生き物だから、
自分の感情に注意を払うことが大事になる。感情の安定をセルフ・コントロールできることが魂の成長であり、人間力の向上になる。

なるほど。
そうなると、いわゆる「クール」な人間でいることが手っ取り早いよね?

それは違う。

 

 

<終活010 輪廻転生の実態とは?>

 

「冷静(クール)であろうとすること=冷静」ではない。冷静さを装うのか、それとも本当に冷静な人間であるのか。この違いは大きい。魂の進化が低い人間こそ、クールな人間を装うことが多い。


装う? なぜ?

感情のセルフ・コントロールが出来ないから。感情を表に出さない方が楽だからだよ。

じゃあ、感情的な人間の方が良い、と?

それも違う。

あはは(笑) じゃあ、どうしたらいいのよ…?

感情を表現する「方法、時、場、対象」を把握していればいいんだよ。「感情表現の空気を読む」こと。

具体的には? 

具体的なことを言っていたらキリがない。それよりもキーになる大事な概念を教えておく。
感情の動機がネガティブであれポジティブであれ、それを表現することが破壊・破滅にならなければいい。感情を抑制せずに発散すること。ただし、相手に表現するときは必ず建設的な方向で表現すること。それが出来ないなら、プライベートで処理すること。これが出来れば魂は進化する。死後、健やかに、かつ速やかに魂界に行ける(成仏できる)。

それだけで?

これだけだよ。

たったそれを意識するだけで成仏できるの??

そうだよ。

じゃあ、なんで何回も何回も転生するわけ? カルマを背負うわけ?

その理由のひとつは、感情のバランスが保てないから。また、それは難しいことだから。そして最大の理由は、転生は感情バランスの完成度で決まること(転生は感情次第であること)の実態を知らないから。知識が間違っているから、価値基準も間違える。

魂の輪廻転生には順番があるんだよ。
まず、①感情のバリエーションを知り、②表現することを学び、③効果的に表現すること・実践することを学び、④他人の感情表現の対象的存在(感情のはけ口を受け止める存在)になること。このステップを踏んで輪廻転生は完結する。さっきも言ったように、このステップの順番と、感情を表現する「方法、時、場、対象」を把握していることの順番が連動している。
 
仮にさ、一回の人生で、感情を表現する「方法、時、場、対象」を理解し、4つのステップをこなせたら輪廻転生はしない、と?

しない。地球に生まれてくることはない。
多くの魂は、①②のレベルにある。③は少ないし、④はもっと少ない。が、これからの数百年は④のレベルの魂が多く生まれてくる。つまり、輪廻転生は感情の扱い方のレベルで決まるってこと。

 

もしかしたら、これは人生の新しい定義になるね。

 

 

<終活011 新しい「人生の定義」とは?>

 

その通り。何度も言ってきたが、魂の進化とは感情の扱い方、つまり、感情のエキスパートになることだから。だから、人生のテーマも「感情」の一言に尽きる。どれだけお金を稼いだか? どれだけ有名になれたか?などは関係ない。死後の審判でのジャッジの基準は、成し遂げたことではなく、感情の扱い方でどれだけ進歩したか? そして、自分の感情表現がどれだけ建設的に表現できたか?になる。それが優しさであり、幸せとはそういうことだからね。


そういうこと、とは?

相手の感情をケアできたときに人間は本当の幸せを感じれるということ。だから恋愛するし、結婚するし、友人を作る。すべてに人間関係が絡んでくる。だから、魂的観点から言う「本当の成功」とは、「どれだけ多くの感情をケアし救済することができたか?」、その規模で決まる。そのツールとして芸術があり、お金があり、経済がある。

感情表現のツールとしてお金がある、というのは面白いね。

それが実態だから。それが「生き金」という本当の意味だよ。だからわしは前に、お金の面で成功したかったら感情を焦点にすべきだとずっと言ってきた。

すべてを「感情」をテーマにして生きてごらん。そして、感情のケア・救済での成功例を蓄積してごらん。そうすれば人生は変わるし、死後、そして来生での人生の質も変わる。

今から出来ることは?

家族を大事にすること。結婚していれば、まずは伴侶を大事にすること。伴侶の感情ケアを優先することだ。いつも一緒に居るべきだとか、おべっかを使うべきだという意味ではない。有り難いことをしてくれたときに必ず「ありがとう」と感謝を伝えること。そして誰に対しても敬意を持つこと。今からでも遅くはない。実践していくことが大事だよ。

要は「大きな人間になれ」ということ。感謝が言えるのは相手よりも自分のエネルギーが大きい証拠だ。相手に敬意を払えるのも大きい証拠だ。小さい人間に限って感謝ができないし、へ理屈を言うことが多い。頭の良さで人間性の上下を計ってはいけない。頭の良さは、その結果で評価すべきだ。それよりも、配慮・気配り・感謝の質で人間性を判断すること。これは、特にビジネスの場面では大きな要素になる。

あのさ、さっき「死後の審判」って言っていたよね?
やっぱり、人生の審判はされるの?
誰がするの?

 

 

<終活012 死後の審判の実態とは?>

 

死後の審判はある。だが、裁判官と被告というような上下関係での審判ではないし、審判の結果で天国か地獄かの行き先が決まることもない。行くのは魂界だけだし、その魂界で審判が行われる。


じゃあ、閻魔大王のお裁きはない、と?

ないよ。そもそも閻魔大王なんていないし、神様も悪魔もいない。

誰が審判するわけ?

魂界にいる先輩魂が審判する。「審判」という表現も適切ではないな。「ミーティング」という表現がいい。

何をミーティングするわけ? 

最大のテーマは、①感情処理の度合い。カルマの解消具合いのことだね。そして、②感情エキスパートのレベルについて。自分の感情の扱い方と、その表現の効果のほどについて。そして、③生まれる時に決めたテーマと、人生においてのテーマとの適合性の差異について。つまり、どれだけテーマからズレずにやるべき役割を果たせたか?

具体的にどういう会話(質疑応答)がされるの?

自分の人生の景色(映像)を振り返りながら、一つ一つの場面で取った言動と感情との兼ね合いのチェックが行われる。そして、生まれる時に決めた役割の達成度合い(やり切ったレベル)の確認もされる。もし、役割を担えなかった場合、何が原因だったと思うか? 担えなかった感情的原因は何か? などの確認がある。ここで、エゴ、プライド、ステータス、ジェラシーがどれだけ価値の無いものかを痛感する魂が多い。わしもそうだった。

さっき、「お金持ち度、有名度、実績は関係ない」って言っていたよね? なぜ?

物質的なことは非物質世界に持っていけないから。すべてはエネルギーであり、魂界は意識エネルギーであり、それは感情エネルギーでもあるから、要は感情エネルギーの大きさでしか実績は判断できないわけ。
もしお金をたんまり稼げたとしよう。問われるのは、その稼ぎ方とお金を支払ってくれた人の感情的満足度が問われる。お金は感情面での信頼の対価だからね。

そこで「全然ダメ〜」ってなったら、どうなるの?

同じテーマを効果的に解消できる次の人生へのプランニングが行われる。

逆に結構達成できてて「よくやった!」となったら?

次のテーマを決めて、同じくそのテーマを効果的に解消できる次の人生へのプランニングが行われる。

実際に会話しているの? 言葉でのやり取り?

言葉での会話ではないよ。何て言うのかな、テレパシーと表現した方がいいかもしれない。エネルギーのやり取りだから、このやり取りの感覚を人間が理解できる言葉で表現するのは難しい。

叱咤激励みたいなのはあるの? 怒られたり、叱責されたりとか。

ないよ(笑) 静かに、粛々とミーティングは行われるよ。怖いことなんか何も無い。

そうか、意外だな。
あのさ、死後のミーティングは分かったけど、実際に死んだ後はどういう展開が起きるの? 三途の川を渡るとか、誰かが迎えに来てくれるとか、そういうことは起きるの?

 

 

<終活013 死後のステップ① 最初の分離>

 

死んだら、まず肉体と魂が分離する。

この時の分離はあくまでも肉体と魂との分離であって、意識エネルギーと感情エネルギーの分離は起きない。

ちょっと待った。死の定義とは?

魂的に言えば「心臓の停止」が死の定義になる。
もう少し詳細すると、心臓が停止することで血流が止まり、それによって各細胞の活動が終息した時に魂は肉体と分離する。

分離したとき、魂はこの世界を漂うの?

魂によるね。肉体と魂との分離は瞬間的に起きるものではなく、徐々に起きる。そのペース(早さ)は、心臓停止から最終的に各細胞の活動が止まるまでの時間と比例する。つまり、身体エネルギーが残っているうちは魂エネルギーとの繋がりがあるから瞬間分離はエネルギー的にもできない。
また、完全に肉体と分離しても、魂にはまだ意識と感情があるから、その意志によっては漂うことを選ぶ魂もいる。が、基本的に魂は魂界に還ることが必須だから、魂界へ戻ろうとしない魂がいたら別の魂がそれを迎えに行く。それが「お迎えが来る」という意味。
だから、死後必ず誰かが迎えに来てくれるとは限らない。

幽体離脱とか臨死体験は、この状態で起きるわけだ。

そう。だから心臓停止しても全細胞の停止が起きるまでは復活する可能性がある。生命維持は医療技術(医療機器)によっても可能だからね。でも、全細胞が機能停止したら息を吹き返すことはできない。
肉体と魂の分離が起きている間は、魂は肉体という拘束から解けていく時間でもあるから、より魂界との意識の連動が強くなってくる。意識を現実世界に置けば、救命処置をしている病院の景色が見れるし、意識を魂界に持っていけば「誰かが迎えに来た」というスピリットとの出逢いを観ることになる。半々状態ってことだな。

その状態で、自分の意志で「死なない!」って決めれば復活できるの?

可能と言えば可能だね。つまり、本当にそう意志決定すれば分離を阻止することもできる。が、自己意志では難しいだろうね。

なぜ?

まず、肉体を離れた魂は安堵感を高く感じるから、わざわざ肉体に拘束された状態に戻ることを選ばない魂が多い。
そして、時間の問題もある。心臓停止から全細胞の停止までの時間内でしか復活はできないから。そして引力の問題もある。そういう二重の条件下で「死なない」と決めたとしても、魂のエネルギーは魂界に戻ろうとする「魂界の引力」に逆らうのは大変なことだ。
ただし、魂的に「復活すること」が正しい場合は、誰かしらの魂が「引力を解く助け」をする場合がある。この現象が「意識が無くなったらご先祖様が出てきて『まだ死ぬな』って言われて戻ってきた」というエピソードとして語られることが多い。

「三途の川」とは何? 本当にそんな川があるの? ビジュアル的に見えるとか?

 

 

<終活014 死後のステップ② 三途の川とは?>

 
三途の川とは、魂エネルギーと感情エネルギーとの分離が起きる場所。
死後に肉体と魂との分離が起きてから、今度は、魂エネルギーと感情エネルギーとの分離が起きる。それは、いよいよ魂界に入る時であり、言い換えれば物質的要素を払拭する時でもある。いわゆる、魂的観点からの現実世界と非現実世界との境界線が三途の川だ。

この境界線の概念は文化によって違うことが多いが、何かしらの境界線があるという概念は共通している。暗いトンネルをくぐっているように思える魂もいる。そして、その先に出ると光の世界に出たと思うようだが、それが魂界だ。

臨死体験のエピソードを読むと、ここで先に死んだ親類や友人と会うって言うよね? そんなことは本当に起きるの?

魂による。誰かに会いたいと切望している魂や、不安になっている魂には誰かしらの魂が会いにくることも多い。もちろん、会わない魂もある。

魂エネルギーと感情エネルギーが分離した後、感情エネルギーはどこに行くの? それが霊界だと?

そう。分離した感情エネルギーは、同じような質のエネルギーが溜まる場所に吸い寄せられていく。


この感情エネルギーには意識がない、と?

ない。意識は魂界にある。「意識=魂」だから。
よく、「霊視したら天国と地獄の景色を観た」という話しがあるが、それは感情エネルギーの溜まり場を観ているということ。


なぜその景色を観るわけ? なぜ、そこにアクセスするわけ?

観ようとする人間が「霊界とはそういう場所だろう」という先入観を持って観るから。

観る側の認識度合いによって変わるわけ?

そうだよ。

でも、霊界では苦しみも何もないわけだよね?

何もない。ただし、霊界とは感情エネルギーの「質(内容)」の集合エリアだから、感情の質・内容を観てしまう場合はあるだろう。それが人を殺した動機の感情であれば、「殺」にまつわる内容を読み取る(観る)かもしれない。ただ、それはその溜まり場(霊界)で起きていることではなく、生前の感情の情報でしかない。

感情エネルギーと分離した魂(意識)は、その境界線を超えたら何が起きるの? 死後のミーティング(死後の審判)をするの?

すぐには起きない。

 

 

<終活015 死後のステップ③ 感情の回想>

 

さっきも言ったように、「三途の川」とは感情エネルギーと意識エネルギーが分離される段階だが、すぐに各々が各エリアに行くのではない。

たとえば分離した感情エネルギーが「ピュ〜!」っとすぐに霊界に吸い寄せられるわけではない、と?

そう。

どういうこと? なぜ?

言葉で言うとしたら、意識エネルギーと感情エネルギーがしばらく平行して走っているような感じだ。分離しているが、お互いリンクされている。なぜなら、分離して並走している間に大事なステップがあるから。

なにが起きるの?

かいそうが起きる。

かいそう?

振り返るという意味での「回想」のこと。つまり自分の人生を、関わった人間側の立場で振り返る。

「相手側の視点」で自分の人生を振り返るの!?

そう。でも、視覚的にではなく、感情的に。
要は、自分の言動が相手にどんな感情的影響を与えたか? 自分が言った言葉で相手は何を感じたのか? 自分の取った態度で相手はどんな思いを持ったのか?など、相手の感情的動きを自分が感じる側に換わって自分の人生を振り返るわけだ。


感情の疑似体験、か。

疑似体験とは分かり易い表現だが、疑似ではなく、100%リアルな感情を体験する。だって、相手が感じた感情をそのまま感じるし、もう肉体もないから脳内での認識もできない。つまり「言い訳」ができない。

へぇ。何か、それって結構ヘヴィな体験になるよね?

そう。これはかなりヘヴィな体験だよ。わしはこの体験が一番キツかった。この体験がキツイから、この部分だけを霊視なりで観た人間は、それこそ「厳しいお裁きがあるんだ!」と勘違いするだろうね。

それって、80歳で死んだとしたら、同じく80年間かけるの?

いや、一瞬だよ。時間という概念がないからね。まさに「走馬灯」の様だが、一瞬だからこそキツイ。ドッ!と相手の感情を感じるからね。もちろん、現世で相手にポジティブな感情を与えていれば、それも体験する。それだったら、なるべくポジティブな感情を体験したいものだ。せめてプラスマイナス・ゼロにしたい。

おじいちゃんは、どうだったの?

キツかった。それだけ言っておく。

あはは(笑)
え、じゃあ、俺は? 俺の現在のアベレージとか分かるの?

分かるよ。だが、教えない。

ま、そうだろうな。
でも分かった。感情エネルギーと分離しつつもリンクした状態でないと、回想の意味がないってことか。

その通り。感情を客観的に把握するためにね。つまり、主観を避けるため。そして、相手側の感情を感じることで両極が揃い、それで初めて自分の言動の本当の「良し・悪し」が精査できる。これが分かっていないと、その後のミーティングの意味がないし、転生する意味も分からないだろ?

確かに。

 

 

<終活016 死後のステップ④ 人生軌道の確認>

 

回想が終わって、ミーティング?

いや、もうひとつのステップを踏むことになる。「人生軌道の確認」だ。
「回想」は相手側の感情を体験するプロセスだが、それは、自分がとった「言動」が相手に与えた影響についての学びになる。

それとは別に、自分の「思考」が自分の人生に与えた影響について振り返るのが「人生軌道の確認」だ。思考には、魂からくる「純粋意志」と「感情」という2つの要素が混在している。つまり、何事も人間は思考によって選択・決断・行動を決めるのだが、その思考から「感情(エゴ・プライド・ステータス・ジェラシー)を排除した場合」どういう選択・決断・行動を採用したか? それによって人生の展開がどう変わったのか?を回顧する。これが「人生軌道の確認」だ。

つまり、起きたかもしれない他の人生の可能性を観るってことか。
でも、なぜ? なぜそのステップが必要なの?

なぜだと思う?

んん…。っていうかさ、それって意味があるのかな? 「あの時は道を右に曲がったけど、もし左に曲がっていたらステキな人と出逢っていたかもよ?」ってことでしょ? 映画じゃあるまいし、結局は未知への可能性への選択を採用しない人生を送ってきたのだから、この段になって未知の人生を知っても意味がないと思うんな。

そうではないよ。「人生軌道の確認」の必要性は、「本来の人生軌道の景色」を観るためだ。人生軌道に沿って生きたらどういう人生を送ったのか? どこで、どうやって人生軌道から踏み外したのか? その原因を知るためにある。そこに、どれだけ感情的要素(しかも、くだらん理由)で人生軌道からひとつずつズレていったのかを学ぶ。つまり、「エゴ・プライド・ステータス・ジェラシー」という感情の間違った使い方や作用を知り、ネガティブ感情の無価値さを知る。

そういう意味があるなら、このプロセスには価値があるかもね。

大ありだよ!

なぜ?

カルマとの関連が分かるから。

あ、なるほど。

前にも言ったように、カルマは「したこと」の負の蓄積ではなく、「エゴ・プライド・ステータス・ジェラシー」という無駄な感情の蓄積であり、未消化のままだから同じ失敗を繰り返す。それを、この「人生軌道の確認」で知ることになる。

どうしたら、そのカルマを解消できるわけ?

捨てればいいんだよ。こだわらない。ただそれだけだ。

それは、この「人生の回想」のステップでは出来ないの?

できない。相手がいないから。カルマと向き合うには必ず相手(人間)がいないといけない。なぜなら、死後それを知っても、それは「意識」でしか納得できていないから。要は「頭でっかち」なだけで終始してしまう。

分かるけど、「捨てればいい」ってそれが難しいんだよ。どうしたらいいわけ?

それは別のトピックで話すよ。
話しが逸れたから戻そう。


つまり、人生軌道に沿った生き方をした時に観たであろう人生の景色をここで再確認するから、人間は理想・夢を抱ける。もう一度それを達成したいと思うし、その達成を阻むのが無駄な感情の蓄積というカルマが原因だということをここで把握することになる。


なるほど。
で、次のステップは?

 

 

<終活017 死後のステップ⑤ 感情エネルギーとの決別>

 

人生軌道の確認が済んだ後、いよいよ感情エネルギーと完全に決別する。つまり、ここでやっと純粋な魂(意識)に戻るわけだ。

感情エネルギーと決別すると、何か良いことがあるの?

身体が楽になる。もちろん、比喩的な意味でだが。

熟睡して疲れが取れた後みたいな?

ま、そんな感じだね。この感覚が人間が言うところの「愛」であり、スピリチュアル系で言うところの「ワンネス」でもある。

それがイマイチよく分からないんだよね。前も話題になったけど、その「愛」とは、恋愛で感じる充実した気持ちとは違うわけでしょ?

まったく違うわけではないが、レベルが違う。純粋な魂が感じている愛と比べたら、恋愛で感じるその気持ちは1000万分の1 くらいかな。比じゃない。それよりも、セックスして「イッタ」ときの感覚の方がはるかに近い感覚だよ。

「イッタ」感覚がずっと続いているんだとしたら死んじゃうような。。。

死んでるんだから、別に困らないんじゃないか?

ま、そうだけどさ(笑)
でも、純粋な魂世界に戻ってはじめて愛という感覚を持てるんだね。

それは違うな。細かいことを言うようだが、魂世界が愛なのではなく、感情エネルギーと分離した純粋な魂そのもの(魂エネルギーの本質)が愛であり、それが集まっているだけだから。つまり、戻ってから分かるものではなく、そもそも分かっている(持っている)ものなんだよ。魂の本質だから。

となると、感情エネルギーが愛を削いでいるって感じ?

そう。だから、人間であっても意味のない感情を消化していければ、おのずと愛の感覚が強くなるし、無条件に人を愛せるようになる。そうすると、物事に対して「善・悪」という判断基準が無くなるし、劣等感や疎外感、嫉妬心、反抗心もなくなる。

地球はそのレベルを目指しているの? つまり、地球に生まれてくる魂は、そういう究極の愛を各自が体現できる世界の実現が目標ってこと?

その通り。本来の目的はそこにある。が、難しいところだね。なぜなら、それは別の世界(星)で実現することになったから。と言うか、そういう世界を実現する前に、地球という星の終わりが来てしまうだろう。このままいけば。

星としての寿命ってことか。

違う。破壊されてしまうってこと。

破壊? 誰に?

人間に、だよ。

ああ… ってことは、人間が地球を破滅させることが実際に起こるってことだね?

このままいけば。でも、そうなってはいけない。だから、この「地球の使命」と同じベクトルを向ける人を神様はチョイスする。

ま、それは別のトピックだから、話を戻そう。


でさ、前に本で読んだことがあるんだけど、魂の世界に戻ると、魂はその世界を移動しながら「魂の部屋を通過していく」って書いてあった。それって本当なの?

人間が理解できるイメージとしては間違ってはいない説明だね。分かりやすい。でも、物理的な距離は無いから「移動」するわけではない。魂にもグループがあるから、各々のグループのエネルギーと解け合う感じだ。その各グループを「部屋」と観たのかもしれない。

それが「ソウル・グループ」ってことか。

ま、そうだね。分かりやすく言えば。

って言うか、そもそもな質問だけど、ソウル・グループって何なの? 実際にあるの?

 

 

<終活018 死後のステップ⑥ 意識の同化>

 

ソウル・グループについては、ある誤解を解かないといけない。が、その前に、感情エネルギーと決別した後のステップを先に知った方がいい。

そのステップとは?

意識の同化、だ。

同化? 各ソウル・グループの先輩魂と復習し合うんだよね?

何を?

な、何を?? だから…、目的をどれだけ達成できたのか? 感情にまつわるカルマをどれだけ解消できたのか?とか、でしょ?

それは、ステップ③④で済んでいるよ。

あ、そうだね…
だから、そこで確認できたことを復習するんでしょ?

なぜ?

なぜ?? だから、答え合わせだよ。自分の理解は間違っていないか? 間違っていたら正しい理解を指導霊がしてくれる。でないと、また同じ間違いを犯してしまうからね。

間違いの元は感情だったよな? でも感情と決別した後のこの段階では正誤の判断・確認ができないよ。単なる魂エネルギーになっているから。

あ、確かに。
ということは、ステップ③④は自己確認、自己復習ってこと? すべて自分で精査するの?

そうだよ。

その段階で誰も導いてくれないの?

導かない。導く必要がないから。ちゃんと自己で理解できるものだよ。

じゃあ、意識の同化って?

意識エネルギーの同化だ。魂は意識だからね。
個々の魂エネルギーが根源意識と解け合うことで「個」の意識が他の意識と同化する。分かりやすく言えば、「個々の魂の経験値が全体に共有される」とも言えるが、それはあくまでも記憶としての情報共有ではなく、意識の共有になる。


つまり、先輩魂や指導霊と質疑応答が行われ、そこでカルマや生まれた目的、学びの度合いやその消化具合いを話し合い、間違っていることは親切に正してくれることが行われていると思ってたけど、それは無い、と?

ないよ。それは、意識の同化と共有が起きるプロセスを人間が分かりやすく理解するための比喩だよ。あくまでもエネルギーだから、そこには音声なり文章なり映像なりの共有はない。あくまでも意識の同化だ。つまり「情報のやり取り」というものが無いんだよ。

じゃあ、同化された側はどうなるの? 死んで戻った魂ではなくそれを受け入れた側、つまりソウル・グループ側のこと。

いい質問だね。同化された側は、同化してきた側のエネルギー値によってエネルギーの濃度が変化する。つまり、魂の目的と課題に取り組んだ(実直に生きた)魂のエネルギー値は高く、そうなると全体のエネルギー値も上がる。

逆に、変化のないエネルギーは全体への影響もしないし、エネルギー値を下げたものが同化すると全体のエネルギーが薄まる。それを例えれば、色の着いた水を各々混ぜるイメージみたいなもの。

なるほど。でも「同化」のニュアンスは分かるけど、「共有」の意味がよく分からないな。具体的に意識の何を共有するわけ? 情報のやり取りはしないわけでしょ?

 

 

<終活019 意識の共有とは?>

 
だから、意識の共有だよ。個々の意識が全体に影響を与え、全体の意識の質を決める。

じゃあ、意識にはどんな内容が含まれているの?

人生の経験から学んだこと。

それだけ?

これだけだよ。とっても大事なことだが。

ん、、、よく分からないんだよ。それがエネルギーで行われるわけでしょ? 経験から学べたことはどんな媒体でエネルギーに記憶・記録されているわけ?

混乱するのは、情報のやり取りがあると思っているからだ。
「これこれを学びました」
「学べなかった事はありますか?」
「はい、これこれは達成できませんでした」
「そうですか。でも、あなたは新たにこういうカルマを作りましたね」
「はい」
「じゃあ、来生はこれこれに特化しましょう」
「分かりました」

こういうやり取りが死後にあって、その内容で来生が決まるという解説の方が人間には理解しやすい。人間は言語化された情報のやり取りがないと意志の疎通ができないと「思っている」からね。でも、さっきも言ったように、記憶なり記録がされるわけではないから、情報のやり取りはない。


意識は具体的にどうやって共有するわけ?

混ざるんだよ。シェア、だ。
これを説明するのは難しい。玄関を開けた時に、家の中の空気と外の空気が混ざるのを具体的に解説してくれっていうようなものだから。

エネルギーの同化と共有を分かりやすく言うとしたら、エネルギーの「成分」が解け合う感じだ。絵の具の赤色で染まった水があるとして、そこにもっと濃い赤色の水を入れたらどうなる? 濃くなる。そこに薄い赤色が混ざったら? 薄まる。が、水が濃度を決めるのではなく、赤色の「成分」で濃度が変わる。水は単なる媒体でしかない。この「成分」が意識で、「水」がエネルギーという感じだよ。


なるほど。なんとなく分かってきた。
じゃあ、その意識の共有の価値って何なの? 何か良いことでもあるわけ?

まず、全体の意識の質を向上する。「意識の経験値が上がる」とも言えるな。その経験値は全体にシェアされる。そして、来生の内容を決める。

ちょっと待って。それはあくまでも個々の魂の問題でしょ? 個々のカルマがあって来生の内容が決まるわけで全体の都合で来生が決まるわけではないよね?

個々の問題と全体の都合、その両方が来生の内容に盛り込まれるよ。

え? じゃあ仮に、俺の問題ではない他人(他の魂の問題)を俺が人生で背負うこともあるわけ?? それって理不尽でしょ。解せないな。

そこなんだよ。ソウル・グループについて解きたい誤解というのは。

 

 

<終活020 ソウル・グループの実体とは?>

 

さっきも言ったように、魂の全体の都合と、個々の魂の問題(カルマ)で来生が決まる。全体の都合とは、魂全体としての成長に寄与すること。個々の問題とは、カルマ解消のための問題だ。

つまり、ソウル・グループというのは一蓮托生であり運命共同体だ。あくまでも「魂」としての進化成長が目的であり、個々の魂がそのプロセスに貢献することになる。

昨今の概念では、ソウル・グループは「良き仲間」みたいな和気あいあいとしたイメージがあるが、要は「連帯責任制」なんだよ。個々の魂だけではなく、全体の都合も優先されるのがソウル・グループの実態であり、この点を誤解してはいけない。だから、「ソウル・メイト」と出逢うことがいかにも幸せな良き出逢いだと言われているが、そんなことはない。

なるほどね。そのソウル・グループが9つあるってことだよね?

違う。

だって、魂パターンは9つあるって言ってたじゃん。

魂パターンは9つ=ソウル・グループではないよ。

じゃあ、幾つあるの?

一つだ。魂の世界にグループ分けは無い。

ないの?

「ワンネス」だから。別れていたらワンネスにはならないだろ。

あ、確かに。
じゃあ、ソウル・グループって何なの?

人間として地球に生まれてくる時に、魂は感情エネルギーと連動して生まれる。その連動したパターンが9つに大別できるってことであり、根源魂が9つに別れている訳ではない。だから、皆が言うソウル・グループと言うのは、言い換えれば「カルマ・グループ」であり、解決する問題が同じ仲間って意味になる。


へぇ、初めて聞いたな。「ソウル・グループ=カルマ・グループ」か!(笑) そうなると、魂全体の都合と個々の魂の都合が連動して生まれるのも分かるような気がする。

そう。さっきも言ったように、まず根源としての魂全体の進化成長が優先され、そして、個々の魂の問題(カルマ)が考慮されて、カルマのパターンでグループが別れる。言い換えれば、ソウル・グループとは、魂全体の進化成長の為に特定の専門分野を決めるようなものだ。
前にも言ったが、根源魂は「本社」であり、各グループは「各部署(部門)」みたいなもので、個々の部署の成績もさることながら、最終的には本社の成績に集約される。それと同じだ。


そうなると、魂パターンってカルマ・パターンでもあるよね?

そうだよ。でも、それだとイメージが悪いだろ?(笑)

あはは!(笑) そうだね。

だから、ソウル・メイトとの出逢いを求めることは、カルマ解消の為の相手を求めることでもあるから、その関係性に夢も幻想も抱かない方がいい。心しておかないとね。

ってことは、ソウル・メイトとは必ずしも同じグループではないわけだよね?

そう、違うグループ同士の方が圧倒的に多いよ。もちろん同じグループもあるが、違ったグループ同士の方が根源魂の進化成長にはより貢献する。

一挙両得でカルマ解消に貢献するってことか。

そう。問題は…

その価値だよね? ソウル・グループの実態が分かっても、それは単なる知識でしかない。それを今の俺がどう活用・応用できるのか?

その通り。そういう視点が大事だ。
大小は問わずとも、現実的な価値に落とし込めないスピリチュアルは意味がないし、そういうのは無視して全く問題は無いから。これがスピリチュアルとの付き合いの基本鉄則になる。

 

 

<終活021 スピリチュアル知識との付き合い方>

 

ソウル・グループの実態であれ、死後の実態であれ、その知識の価値は、「何が価値基準か?」が分かるってこと。そして、その有効活用も。

生きている時でも死後でも貫く価値基準があるってことか。

そう。じゃあ、それは何?

「意識」だよね?

そうだね。まず、おまえの(人間の)価値を決めるのはエネルギー値であること。生きている時分で言えば、エネルギー値はパワーで判断できる。有効活用とは、エネルギー値を高めることを意識しろってこと。自分の一挙手一投足、そして言葉(つまり、言動)が自分のエネルギー値の濃度を常に左右させる。そして、それは対外的なイメージに繋がり、それが「おまえ」というイメージを作り、相手はそれを認識する。

それは分かる。それと人生ってどう関係するわけ?

筋が通っているか、だ。

生き方としての筋ってこと?

そう。例えば、直感に従うと言っても(もちろん直感が一番間違えないのだが)、誰であれ、それまで築いてきた価値観や生活境遇の影響を受けるから、どれが価値ある直感で、どれが無価値なプライドなのかが分からなくなる。そして、他人からの評価も影響するからもっと迷う。だからわしは、それが客観的に分かるように「魂パターン」という概念を教えたわけで、一度自分の本質や筋を知ってごらんってこと。そして、直感にもパターンがあり、それは魂の特質で変わるし、個々人でも違うわけだから、まずは「自分を知ること」で自分を整理整頓してみれば?というのが、わしがお前に教えた観点なんだよ。

つまり、おじいちゃんの教えは、「生き方」だよね。生きる姿勢というか。「稼ぎ方」ではない。

そうだよ。わしは人として生きるべき「生き方」を知って欲しいと常に願っているし、お金は「生き方」の結果でしかないと思っている。

つまり、お金は重要ではない、と?

違う。なぜなら「生き方」とは「生きる方法」であり、お金は生きる方法の一つのツールだから。
ツールだから重要なものだが、問題は、ツールは「欲しいな」と思っていれば手に入るものではないってこと。そして、ツールだからこそ、それは如何様にでも利用できる。

 

わしが言っている意味は、普段のお金の使い方という意味ではなく、スピリチュアル的視点を含めた意味だ。つまり、魂全体の進化成長のために、どう使うか? 言い換えれば、どう個々人に与えるか?という視点。お金は、お前が住んでいる地球という環境では魂のツールでもあるから。この意味が分かるか?

だから、天才の一人としてシュメール時代にお金というツールを最初に考え出した人間を前に挙げていたわけだ。

そこでわしは、魂というスピリチュアルな視点を含めての現実世界での「生き方」を教えた。そこで重要なのが「行動・実践」だってこと。要は「自分への理解度がそのまま対外的なイメージを決め、そのイメージが対外的な成功を決める」ってことだ。なぜなら、成功は人間関係の賜物であり、その人間関係は「おまえのイメージ次第」だからだ。そのイメージはパワーに比例する。

人間が受けるイメージとは、「言動」の「言(言っていること・哲学)」よりも「動(行動・実践・姿勢=人間力)」から受けるイメージが強いし、最終的には相手も「動」に視点が行く。「言」のパワーは初回でしか効果が無いと思っていればいい。なぜなら、すべてはエネルギーなんだから、エネルギーを高く作り出せる「動」の方が強いわけで、それがパワーになる。


でも、「言霊」って言うように、言葉にもエネルギーがあるわけでしょ?

言霊にはエネルギーはあるがパワーは無い。パワーという「出力」がない。

あ、なるほどね。

だからこそ、昔から人を判断するときは「語っていることよりも、行動で判断しろ」という指標が語り継がれてきた。そして、その言動は当人の「意識」で決まる。簡単に言えば、意識とは「当人の言動を決める本人の哲学」だ。

でも、さっき「言」である哲学は「動」よりも弱いって言ったよね? 哲学では成功しないわけでしょ?

そうだよ。なぜなら「意識とお金は比例しない」から。意識とお金を「連動させるもの」が必要であり、それが最終的には人間力だってこと。人間性としてのパワーだ。パワーは「動かなければ」発生しない。発電機の前で「発電したい」と言っている人間と、発電機のハンドルを回して「発電している」人間の違いみたいなものだ。

 

ただ、そのどちらを自分が採用するかは意識次第になってしまう。
また、勘違いしていけないのは、「動」とは、「今出来ること」しかできないってこと。「将来したいこと」よりも「今できること」しか現実できないだろ? だから、その時々でベストが尽くせるならそれで良いんだよ。あとはその継続と展開だけだから。


つまり、スピリチュアルな知識は知識であり概念でしかない。知っているか、それとも活かしているかの違いは、現実的に何をしているか?であり、それは、今、何ができるか?からしか判断できない。本当にそれだけの違いなんだよ。

その違いは、意識次第であると。

そう。

 

 

<終活022 根源意識での魂の状態>

 

じゃあ、魂が根源魂のエネルギーと同化して一連の旅がすべて終わった後、つまり、根源エネルギー状態での魂は何をするの? 何をして過ごすの? 何を考えているの?

何もしないし、何も考えないよ。アクションは何も起こさない。一体化したエネルギーの中で、ひたすら意識が入り交じるのを体験する。次から次へと入れ替わる意識エネルギーの情報にもまれる、という感じかな。言い換えれば、根源に戻ってきた各意識がもつ情報を共有し合う。その現象はまさに「解け合う」ようで、海の様だ。

つまり、根源意識の状態では何も考えていないの? 

人間が理解している意味での「思考」は一切しない。「感じる」んだよ。
「あ、今こういう情報が同化してきた。へぇ、こういう情報もあるんだ。あ、あの意識はこんなことを学んだんだ…」と感じるが、思考しているわけではない。解け合っている、感じている、入り交じっているという表現でしか言えない。


誰かしら地上で生きている人間(意識)をサポートしたりしないの?

しないよ。それは根源魂の役割ではないから。

そこについては後でもっと聞きたいんだけど、それよりも前に聞きたいことがある。
その根源の意識エネルギー状態では思考しないんだよね?

そう。

じゃあ、来生の内容は、誰が・どうやって決定するわけ? 思考しないのに。

来生は根源魂の状態の時には決めない。つまり、死んでから根源魂に戻ったときの逆のプロセスを踏んでいく過程で徐々に決めていく。

根源魂から魂はいきなり母体に移るわけではないわけだ。

そう。

じゃあ、何がきっかけで根源状態から外に出るわけ? 何を目的に「出よう!」と思うわけ? 動機は何?

とてもいい質問だね。だが、それについて扱うのはまだ早い。

なぜ?

意識が何かについて理解してないと勘違いしてしまうから。

それについて知りたいんだけど、なかなかスッキリと教えてくれないよね。

徐々に、だ。ちゃんと理解して欲しいからね。

根源状態にあるとき、個々の魂は「個」として己を認識しているの? そうでないと、「出よう」と思わないよね?

根源状態では「個」という認識はない。つまり、「これが俺の魂だ」という境界線はない。ひとつだから。
分かりやすく言えば、根源状態では、全体で思考している。全体で感じている。全体で躍動している。そこに「個」はない。さっきも言ったように、それは海のようであり、全体でひとつの様を形成している。


その根源状態における「全体としてのテーマ」は何なの?

(全体としての)自己の進化・成長がテーマであり、「愛」の様々な形(表現方法)を学ぶことがこの根源意識のテーマになっている。

ちょっと待って。ということは、根源意識って一つじゃないの? つまり、今話している根源意識という大きなものが他にも幾つも存在している、と?

そうだよ。地球に産まれる魂のほとんどは、ある特定の根源意識に属している。それを根源意識Aとすれば、BもCもDもある。幾つもある。

へぇ、そうなんだ。それぞれでテーマが違う?

違う。

他にどんなテーマがあるの? 「怒り」とか「悲しみ」とか?

それは根源意識Aでの話しであり、他は他で違う。それは人間の理解を超えたものだからわしは上手く伝えられない。というか、わしにも分からない。ただ、根源意識が一つではないことは分かる。

こう考えてご覧。
いわゆる「宇宙」が存在し、果てしない規模でありながらも境界線は存在し、その境界線は収縮を繰り返す。なぜなら、個々の意識レベルと連動しているから。これは前に話したね。
結局、その宇宙も物理的な空間でありスピリチュアルな領域ではない。どんなに宇宙の果てまで行ったとしても、それはあくまでも現実世界であり物理的なものだ。「光が進める領域=物理世界」だ。

さて、今まで話してきた根源意識の領域とは、この果てしない境界線の向こうに存在しているわけではない。どこかに存在する別の領域ではなく、ただ「ある」ものなんだよ。言い方を変えれば、それは常に人間と隣り合わせで存在している。誤解を招く言い方をすれば、それは「空気」みたいなもので、人間が空気の中で存在しているのと同じような感覚だ。でも、人間はいちいち「空気の中で動いている」とは考えないのと同じく、当たり前のように根源魂と「接している」。

つまり、人間は常に空気の中で泳いでいるようなものであり、同じく意識(魂)の中で存在している。極端に言えば、根源意識の中で「お前」という存在は生きているわけ。根源意識の中に物理的な宇宙・地球・人間がうごめいている。それだから「個」という概念が払拭できず、根源意識の中でも「個」があると思ってしまう。が、意識に「個」はない。「個」たらしめているのは肉体と、それに内包された精神だ。


根源意識の中で存在しているのか。おもしろいね。

お前のそもそもの質問に答えれば、根源意識とは総体であり「個」は無いが、肉体としての「個」はある。要は、意識の比重をどちらに置くか?の話しだ。意識に置くか、肉体・精神に置くのか。
そして、意識は意識であり、物理的な意味での「作る」という行為ができない。だから肉体を持つ。つまり、意識は直感であり、直感を具現化するのが人間(物理的存在)の役割だ。これが「現実化」という意味だよ。「自分」が現実とさせていくこと、だ。その「作る」「形にする」行為の中でカルマの解消も同時にこなす。


だから、「人間は現実世界とスピリチュアル世界との境界線に存在している」と、前に言ってたわけか。
話しを戻すけど、前から気になることがあって…

なんだ?

感情エネルギーの溜まり場が霊界で、その質の上下で天国と地獄にようなレベルの違いがあるとして、いわゆる守護霊とか意識体とかはどの世界に属するわけ? 根源魂はサポートしないんでしょ? じゃあ、誰がサポートするわけ? もっと言えば、いわゆる「神」と言われる存在は霊界に属しているわけ? それとも魂側のエネルギー?

スピリチュアル世界の配置図を知りたいんだな?

そうそう。因果関係が分からない。

 

 

<終活023 スピリチュアル界のマッピング>

 
スピリチュアル界の構成は、実はとてもシンプルだ。と言うか、「シンプルになった(変わった)」と言う方が正しい。たとえば、地獄界が何階層で、天国界が何階層でといった概念はもうない。
まず、大前提として理解しなければいけないのは、いわゆる「死後の世界」と「魂」とはまったく別ものだってこと。昨今のスピリチュアルは、この二つを混同している。「スピリチュアル」という名のもとにね。

一般的に言われている「死後の世界」とは「霊界」のことを言っており、魂の世界のことではない。が、死後に(意識が)行くのは魂の世界であり霊界ではない。だから怖がることはない。
これまで何度も言ってきたが、まず①魂界と②霊界という2つの大きなエリアが存在している。魂界は意識の世界であり、霊界は感情の世界だ。

まず、霊界から話そうか。
いわゆる「天国」「地獄」「煉獄」といった概念は霊界の話しだ。そして、霊界は感情エネルギーが寄り集まった世界だから、ここに「何かをしよう」という能動的な考えや行動する(人間的な)存在は無い。あくまでも、感情エネルギーが溜まっているだけの世界になる。天国・地獄と言っても、そこで何かが行われているわけではない。

そして、感情エネルギーに「ポジティブ」「ネガティブ」があるように、霊界もポジティブな感情エネルギーが集まったエリア(天国)と、ネガティブな感情エネルギーが集まったエリア(地獄)、そのどちらでもない(プラスマイナス・ゼロ)中庸のエリアの3つに別れている。ちなみに、煉獄は存在しない。煉獄とはクリスチャンが苦し紛れに編み出した概念でしかないから。
つまり、霊界とはこの3つのジャンル(天国・中庸・地獄)だけであり、各々に細かい区分は無い。細かいことを言えば、「3つだけに統合された」と言うのが事実だが。

次に魂界だが、魂界は基本的に魂だけの世界であり、意識エネルギーだけが集合しているエリアになる。そこにジャンル分けやパターン分け、グループ分けは無い。あくまでも、魂だけの世界だ。



<スピリチュアル世界>
    |
 魂界 |  霊界
(意識)| (感情)
    |
    | + 天国
    |  ± 中庸
    |  − 地獄
    |


さて、いわゆる「ガイド」が存在する。神・守護霊・エンジェル・意識体など言い方は色々あるが、要は「導く存在」のことであり、どれも同じだ。

同じなの?

同じだよ。このガイド達が、通称「霊者」と言われている存在だ。

それは、魂界と霊界のどちらに存在しているの?

それは個々によって違う。細かいことを言えば、魂界と霊界の中間とも言えるが、明確な立ち位置は決まっていない。要は、意識と感情のどちらのエネルギーに依存しているか? その度合いの違いで決まる。
問題は、ガイドがどうやって人間にアクセスするか? そのルートの違いだ。つまり、魂界側からのアクセスするのか、霊界側からアクセスするのかの違いであり、それによって降ろすメッセージや導き方、主義主張も違ってくる。神・守護霊・エンジェル・意識体などのガイドをあえてジャンル分けするとすれば、こうなる。



     ガイド
    ↙︎ | ↘
  魂界  | 霊界
      |

      | 神
意識体   | エンジェル
      | 守護霊
      | 
    ↘ | ↙︎
       人間


あのさ、アカシック・レコードは何なの? 魂界の記録だよね?

違う。アカシック・レコードとはカルマの記録だ。だから、霊界に属する。アカシック・レコードについての定義や解説は多いが、冷静に読み解けば、個々の魂のカルマ解消にまつわる記録だと分かるだろう。

じゃあ、魂界の記録ではないと? つまり、根源魂が共有する情報の記録ではないわけ?

違うよ。個々の魂が根源魂に持ち帰った情報は記録として存在しない。これについては別の機会に話すよ。とりあえず、アカシック・レコードはカルマの記録だということ。

幽霊は?

幽霊は感情エネルギーの視覚現象だから、そこに霊者という存在は無い。一般的には、幽霊は何かしらの存在の仕業だと認識されているが、それは違う。人間が感情エネルギーを観る時(感じる時)に、人間っぽい存在として観るように脳が変換した結果でしかない。だから怖がる必要はない。

でも、恐怖感があるよね?

それは、感情エネルギーだから。いわゆる幽霊を観て感じる恐怖感は幽霊への恐怖ではなくて、感情エネルギーがもつパワーへの恐れだから。

あ、なるほど。でもさ、明らかに肉体化した幽霊がいるよね?

それは、幽霊ではなく霊者の仕業だよ。霊者が肉体化した場合、そこに恐怖はほとんど感じない。恐怖というよりも、畏怖の念に近い。
こう考えるといいよ。いわゆる幽霊は、明確な存在として観ること(現われること)が無い。ぼんやり、なんとなく、それっぽく感じる。それはつまり、エネルギーだってことだよ。存在ではない。明確でないからこそ恐怖を感じるとも言える。


宇宙人は? 宇宙人は霊者なの?

宇宙人は霊者ではないよ。物理的な存在だからスピリチュアルではないし、魂界にも霊界にも属さない。人間の別バージョンだよ。

精霊(フェアリー)は? 小人は?

精霊はエンジェルと同じで霊者になる。小人は宇宙人と同じ。

おじいちゃんは何なの? 守護霊では無いんだよね?

守護霊ではない。お前の守護など面倒臭くてまっぴらだよ。

OK、OK。それは前に聞いたよ(笑)
魂と感情のどちらからアクセスしているの?

魂側から。だから、怖くないだろ?

確かに。ま、血も涙も無いことを言うけどよね。独断的というか、感情がこもっていないというか、ストイックというかさ…

それは仕方ないよ。感情(霊界)側からアクセスしていないから。感情をパイプにやり取りしていないから、気持ちを配慮することが出来ない。でも、そこが重要なことでもある。

なぜ?

 

 

<終活024 信仰の実態は恋愛と同じ>

 

なぜなら、感情に訴えないから。 

理性に訴える、と? 

確かに「現実的であれ」というのがテーマだから理性に訴えるのはあるが、「意識に訴えている」という表現の方がわしは好きだな。 

もし霊界側からアクセスしたとしたら、内容は変わるの? 

変わるよ。 

どんなふうに? 

「わしを信じろ」と言うだろうね。要は「信仰心」を求める。なぜなら、感情的な繋がりが必要だから。信仰とは感情的な信頼関係だからね。 

面白い定義だね。 
その感情的な繋がりは、どちらが求めるものなの? そちら側なのか、こちら側なのか? 

両者だよ。基本的に宗教やスピリチュアルに傾倒するのは安心が欲しいからだ。ただそれだけだ。そちらの(こちら側)の求める感情的な安心、そして霊者側が求める感情的安心という共通項があるから、霊界側経由の概念の方が心地よく感じるだろうね。 

「心地よい」という表現はピッタリだね。確かにそうだ。 
ということは、神や守護霊も安心を求めているってこと? 

そうだよ。感情的安心が欲しいから「信じろ」と言う。つまり、「わしのことを欲しているんだ」という満足感が欲しいんだよ。そこで「教義」というルールを作る。教義とは、「わしをこういうふうに扱ってくれ」という霊者の要求だから。そして安心が欲しいから嫉妬深くなり、「他の神はダメ。求めるな」という要求が必ず付随してくる。挙げ句の果てには「従わなかったら懲らしめるぞ」と言い出す。 

男と女の関係みたいだな。 

そう、それとまったく同じだよ。結局は、尽くす側と尽くされる側という関係性になる。もし、それを解消(宗教からの自立・スピリチュアルからの脱却を)するとなると、たちの悪い霊者なら引き離さないためのアプローチを取ってくる。 

どんなアプローチで? 

色々だよ。でも感情がキーになっている関係性だから、恐怖を感じるアプローチになる。憑依・病気・ラップ現象・ポルターガイスト現象だったり、同じ仲間からの攻撃(口撃)や人間関係のこじれだったり。要は「霊的ストーカー行為」をしてくるわけだ。 

わかる。どれも経験したよ。 
それは必ず経験するものなの? 

いや。どういう存在を信じていたか?による。相手次第だよ。信じた霊者の気質による。 

自立や変化に伴ってそういう現象が起きるということは、逆に考えれば、良いことだとも捉えられるよね? 

確かにそうだな。変化している証拠でもあるから。 

そういう現象を経験した場合は、どうしたらいいの? 

静かに無視するしかない。ただ、蔑視してはいけない。 

何とかすることは出来ないの? 避ける方法とか。 

時間に任せるしかない。相手は霊界でもお前がいるのは物質世界だから時間がかかる。でも、いずれ必ず落ち着く。
要は、意識次第だ。まずは「私は変わった」と自己認識しなければいけない。迷っていたらいつまでも続くから。そして、静かな気持ちで「私は変わりました。次のステージに行かせて頂きます」と頭の中で思考すれば(定期的に考えれば)いい。
 

思考すればいいの? 唱えるんじゃなくて? 

ま、どちらでも良いが、厳密に言えば、唱えるのは意識の発露だから届かない霊者もいるだろうね。
「霊界側の霊者は感情と思考に反応し、魂側の霊者は意識と姿勢に反応する」から。
 

感情を込めて「変わりました!」と感じるのは? 

感情を込めて意思表示するのは避けた方がいい。相手も(霊者も)感情的になるから。 

そうか。まさに恋愛のクロージングと同じだな。 

そこを分かって欲しいんだよ。 
スピリチュアルなことだからと言って神聖視してはいけないし絶対視してもいかん。常に冷静に判断しないといけない。その判断として、自分が傾倒する対象のもの(物・者)が霊界側なのか、魂側なのか、どちらなのかをフォルダ分けしてみるといい。多少スピリチュアルをかじっているならその判断は分かるだろう。霊界側と魂側とでは、価値観もアプローチも概念も違うから。 

これは、スピリチュアルなことを提供する側の人間にも言える。自分のアプローチはどちらなのか? 自分がやり取りしている霊者はどちらなのか? もし自分のやりたいことと、その元が違っていたら効果は無いから。 

どちらとも繋がらずに提供すること方法もあるよね? 

それは無い。スピリチュアルなことに関わるなら、必ずどちらかと繋がっている。どちらにも属さずにクリーンでいくと言うなら、宗教やスピリチュアルからは完全に脱却した方がよい。それがスピリチュアルの実態だから。それは、誰からも協力を得ないでビジネスで成功すると言っているようなものだよ。 

でも、成功者に信心深い人が多いよね? スピリチュアルな関心を持っている成功者も多いとも言われている。 

そう言うのはスピリチュアル本の読み過ぎでは?
まず、信心深いからと言って成功できるわけではないし、信心深くなくても成功している人も多い。そして、スピリチュアルに全く関心がなくても成功している人はごまんといる。また、スピリチュアルへの関心と傾倒とは全く別問題だ。

そこだよ、分かって欲しいもう一つのこととは。
スピリチュアルは成功のツールではないから。要は「バランス」だよ。
 

どちらに属しているのか?を吟味しろというのは分かり易いけど、それを吟味して分かったとしよう。で、何か良いことでもあるの? 吟味するのは、スピリチュアルで結果を出したい為だけ? 

割り切りなさいってことだよ。 

あ、なるほど!

 

<終活025 臨死体験では霊界に行かない?>

あのさ、気になることがあるんだけど。
これまで教えてくれた死後の展開の内容は、臨死体験で聞く話しと違う情報が多い。


ひとつ言えることは、臨死体験したとは言え、死んだ訳ではないってことだ。結局、意識が戻った人間が語っていることでしかない。

でも身体は死んでいるんだよ。少なくとも機能していないわけで…

もちろん。身体機能上は死んだかもしれない。
何が言いたいのかというと、最終的に(復活して)戻ってきた意識と、本当に死んでしまった意識とは別ものだってこと。言い換えれば、臨死体験をした意識は本当の死後のプロセスを辿っているわけではないんだよ。

それは、プロセスの最終地点ではなく、途中までしか行けなかったというプロセスの過程の問題? それとも、まったく違う世界に行っているという問題?

どちらでもない。

どういうこと?

臨死体験しているときに観る景色やプロセスは脳内での認識の話しであり、本当にあの世に行っているわけではない。

脳内の認識!? ってことは、臨死体験はスピリチュアルな体験ではない、と?

スピリチュアルな体験だと思うか否かは人による。昨今、臨死体験して意識が変わったという体験談が多い。そういう人間からすれば、それはスピリチュアルな体験だろう。でも、臨死体験しても何とも思っていない、影響も受けない、意識も変わらない人間だってたくさんいるよ。

つまり、情報が偏っている。

じゃあ、臨死体験が脳内の認識だって言うには、本当に魂の世界に行っているわけではない、と?

ないよ。魂の世界に行ったら肉体には戻れないからね。

臨死体験は脳内の話だとは知らなかったな。。。

 

 

<終活026 誰が決めているのか?

 

さっきの質問を扱おうか。思考しない魂が、どうやって根源意識から「出る」と決めるのか? その動機は何か?について。

やっぱり、根源意識の状態では何も思考しないっていうのがピンとこないんだよね。何て言うのかな、、、それで良いのかな?って。

思考しないから良いんじゃないか。思考しないから安堵できる、平安でいられる、幸せでいられる。
自分を苦しめるのは思考だからね。自分の可能性を阻むのも思考であり、怖さや不安を抱えるのも思考が原因だから。

逆説だよね。それでいながら、産まれてくる魂には特定の情報が含まれるわけでしょ? そして、生きていく上では意識が必要だって言う。つまり、自分だの自己だのが必要だって。でも、根源意識の状態では自己は無い、思考しないってさ、矛盾してるように思う。

お前が言いたいことは分かるよ。でも、わしは「思考しない」と言っているのであって「意識がない」とは言っていないよ。根源意識では「個」としての魂の認識はないし「思考」もしないが、意識が大きく広がった状態での意識がある。分かりやすく言えば「大きな自分」という感覚があり、「すべてを知っている」という感覚がある。もちろん、この「知っていること」とは、個々の魂が持ち帰った情報の蓄積であり、未知のことも多々あるが。

でもさ、情報の共有があるのに、なぜ学びに違いが出てくるわけ? なぜ魂にパターンの違いが出るわけ? 全部知っているわけでしょ?

確かにお前の言う通りだ。だが、未知のことがある。

未知なことを学ぶために生まれる、と?

そうだよ。

それっておかしくない!? 「未知」なんだから、何を学ぶのかは本人も分からないわけだよね? それでも生まれるとなると暗中模索でしかないわけで、そもそも分かってないんだから、何を学ぶのか問われても意味がないし。

なるほど。じゃあ聞くけど、なぜ夢や理想を持つんだ? なぜ目標を持つんだ? なぜ「こうありたい」という自分を思い描くんだ?

意識が決めてきているからでしょ?

じゃあ、なぜそれを追いかけるんだ?

なぜ追いかけるか?

なぜ、その理想を叶えるために努力するの? そういう設定になっているから「この理想を追いかけるのは仕方ない」ってことか? 幸せになりたいのも設定が原因であって、自分の意志ではないと? 仕方ないからか?

つまり、「お前次第だ」って言いたいわけ? したくないなら、しなければいいってこと?

当たり前じゃないか。「やりたくないことはしない」。これも本人の意志だ。それを「しなさい!」なんて誰も言わない。そもそも誰が「やれ!」って言うんだ? 誰だ?

だれ!? だれ、だろう…? 自分か…。

そう、結局のところ「自分」なんだよ。分かるかな、この重大性が。
親であれ、友人であれ、他人が「こうした方がいい」と言うからと言って、それに従うかも本人次第だ。それと同じように、理想を求めるのか求めないのか? それを決めるのも当人次第であり、求める=良いこと、求めない=悪いことでもない。良い悪いの問題ではない。


でも、何かしらの目的や目標、理想、夢を叶えたいと思ったとしよう。問題は、なぜそれに向かおうと苦労するのか?だ。お前の場合は、なぜ音楽にこだわったのか? なぜこだわる? そして、なぜそれで失敗した? なぜ理想を叶えようとするとき、それが簡単に手に入らない?

やるべきことが違ったから。

違う。未知のことだからだよ。一言で言えば、なぜ生まれるのか? それは、未知を体験したいからだ。知らないことだってたくさんある。

根源意識でも知らないことがあるわけ?

いっぱいあるよ! そもそも勘違いしていないか? 魂=全知全能ではないよ。

ん!?

あ…なんか、分かってきたような…
つまり、人間が歴史において学んできたレベル=魂の学びのレベルってこと?

そう。魂(多くの人間はそれを「神」と認識しているが)は別格な存在で、人間は劣るというのは大きな誤解だよ。それが宗教やスピリチュアルが作為的に刷り込んできた大きな誤解であり差別化でもあるし、人類が集団意識として受け継いできた思考の産物でもある。

でも、そういう差別化は魂にはない。

でも、その誤解を解いたとして、それでどう人生が変わるわけ?

何でもそうだが、何かに取り組むと(それは仕事であれ趣味であれ)一つこなすことに次が観えてくる。向こうの景色が垣間見れる。もちろん、そこに行くかどうかは別問題だが、そこに行かなければわからないこともある。これが理想になる。そして、実際に取り組まなければ分からないことも多い。だから迷うし悩む。

 

つまり、「夢=未知」なんだよ。未知でなければ夢ではないし理想でもない。そして、苦労が伴わないなら理想でも夢でもない。既に知っていることは苦労しないで済むし楽だよ。もちろん、それを繰り返すのも有りだ。ただ、理想を求めたいなら、そうしたいと意志を決めるなら覚悟を持った方がよい。

確かに。でもさ、苦労は避けたいのが人情だと思うよ。

正直な意見だね(笑) だから情報を活用してみれば?ということで、魂パターンの情報を伝えてきたんだよ。

 

 

<終活027 根源意識から「個の魂」が出る理由>

 

ということで、さっきの質問を扱おうか。

思考しない魂が、どうやって根源意識から「出る」と決めるのか? その動機は何か?について。

 

そう、それを知りたい。これまでは死後のステップの話だったけど、「生まれるプロセス」の話だよね?

 

なぜ生まれるのか? この実態を知ると、生きている世界観が変わるし、生きる価値も格段に変わる。生前の細かいプロセスは追って話すが、とりあえず基本的なことを話すよ。

 

OK 

 

結論から言えば、人は貢献するために生まれる。

 

貢献!? なんで?

 

いいから話を聞け。

まず、生まれてからのことを考えてみよう。人は誰であれ母親から生まれ、成長し、成人し、仕事をし、結婚し、家族を養い、子供を成長させ、しばらくして退職し、老後を生き、死ぬ。

そしてスピリチュアルでは、生まれるのはカルマ解消のためだと言い、生きるのは修行だと言い、生きるとは刑務所で服役するようなものだと言う。

 

でも、本当にそうだろうか? もしそれが真実だとしたら、生まれる意味がない。わざわざ苦行をするためだけに生まれるとしたら、そこには希望も、幸せも、夢も何もない。それはおかしいだろ。だって、いろいろあれども希望を抱き、夢を抱き、幸せを求めるのも人間だ。つまり、ポジティブとネガティブが同居するのが人生なんだ。

 

問題は、ポジティブとネガティブのバランスだ。

要はね、夢の達成とカルマの解消を同時に行うのが人生なんだ。そして、最終的には(死ぬときには)ポジティブ面が勝っていないといけないし、勝るようになっている。でも、それが実現できないことが多いから輪廻転生を繰り返す。

 

じゃあ、どうしたらいいの?

 

それが「貢献」なんだよ。誰かに貢献するために生きることを意識することで、自ずと自分の幸せと豊かさを実現できるようになっている。じゃあ、どうしたら貢献できるか? それを生まれるときに決めてくるんだ。

「誰かに貢献するために」がポジティブ面であり、そのために「自分がやらなければいけないこと」がカルマ解消につながり、それを実行することが人生だ。

 

理屈はわかったよ。でもさ、何で貢献するか?はどうしたら分かるの? それが分からないと、生まれた目的を達成できないってことだよね? でも、それが分からない。だって、生まれる前に決めたことは記憶にないから。「忘れた」とも言えるのかもしれないけど。

 

簡単に言えば、「自分がやりたい」と思っていることが、そのまま「貢献する内容」だよ。

 

ちょっと待って。それが俺にとっては音楽なんだ。でもおじいちゃんは「それは違う」と言う。

 

わかった、言い方を変えよう。「自分がやりたい」というのは「自分は何を伝えられるか?」ということだ。この「何を伝えられるか?」が使命であり、それを「どういう手段、形、ツールで伝えられるか?」、それが仕事なんだよ。仕事は使命を果たすためにあるから。でもお前にとっての音楽とは、ただ自分がやりたいことであって、その音楽で「何を伝えるのか?」が決まっていない。

 

その「何を伝えるか?」の内容は何なのよ?

 

自分の経験値から言える「自分は、これが幸せと豊かさを実現できる方法だと思います」ということだ。誰かの真実やノウハウではなく、絶対的なものでもなく、あくまでも「自分だからこそ言えるそれ」だ。それを共感できる人たちにわかってもらうこと。

 

ただし、それを伝えたところで仕事(お金)にはならない。だから、自分が言えることをプランニングし、プランを設け、そこに値付けし、それを提供していく。それが本当のブランディング(マーケティング)だ。

 

だからこそ問いたい。「自分は、これが幸せと豊かさを実現できる方法だと思います」ということは自分で分かっているか? 自分なりのそれを言語化できているか? 仮に「音楽で」と言うならば、それを音楽で伝えられるスキルがあるか?

 

う〜ん、、、ないな。

 

だから音楽で成功できないんだよ。生まれる本質が分かっていないのに「音楽をやりたい!」「これがやりたいことなんだ!」と言ったところで、何もできないじゃないか。八百屋が「俺はおいしい野菜を売りたいんだ!」と言っても、そもそも「おいしい野菜」を売っていないじゃないか、店頭には何も置いていないのと同じだ。

 

いいか、よく聞け。やりたいことをするのはいい。でもな、その材料やネタがあるのか? 無いなら、それをまず作れって話だ。

 

その「材料やネタ」というのが、自分なりに伝えられる「自分は、これが幸せと豊かさを実現できる方法だと思います」という内容だと?

 

そうだ。それを割り出し、言語化し、自分の言葉で伝えていくこと。それが「自分だけができる貢献」であり、それが多くの人の共感と信頼を生み、人を救うんだ。

 

だから、俺は「音楽だ」と思っているわけよ。たしかにメッセージが決まっていないよ。でもさ、音楽をしたいんだから、それで成功させてくれたっていいじゃんよ。

 

お前は、本当に音楽に人生の時間を割いてきたのか? それ以外にないのか?

 

というと?

 

さっき言った「自分にとって本当の仕事の内容」とは、これまでの人生で何に関心を払ってきたか? なにを意識してきたか? 何を大事にしたいと思ってきたか? 本当に時間を割いてきたことの内容が何か?ということだ。

 

そもそも音楽で成功したいと言いながら、お前は音楽ではなく、自己啓発本やスピリチュアル本を読み、多くの霊能者に会い、多くのセミナーを受け、愛とは何か? どうしたら地球は良くなるのか?に時間を割いてきたじゃないか。

 

「何をしてきたか?」ではなく「何に関心を払ってきたか?」。この動機で人は行動するわけだから、今やっている仕事以外の時間を何に当てているか、当ててきたか? その時間に何を考えているか? その内容を「仕事」にするんだよ。それが当人にとっての「本当の仕事」だから。本当の仕事をすれば豊かさと幸せを実現できるようになっている。

 

その本質がわからないで「自分はこうしたいんだ!」「これをしたいんだ!」と思っても、それは「本当に自分がやるべきことではない」ことが多いと? 勘違いがあると?

 

そうだ。自分が思っている「自分の夢」と、「自分が本当に関心を払っている内容」とを精査しなければいけない。でも、それは自力では難しいこともあるから「魂パターン」の話をした。

 

いいか、よく聞け。自分らしい貢献ができたら(そうしたいから人は「個の魂」として生まれるわけだが)、勝手に豊かさと幸せは実現できる。幸せと豊かさを満喫したいから人間はそっちに生まれる。それはこっちでは体感できないことだから。

 

でも、根源魂の世界ではそれを感じれるんだよね?

 

違う。根源魂の世界では「愛」は感じれるが、幸せと豊かさを感じることはできない。幸せと豊かさは現実世界(人生)だけで体感できることだから。

 

そうなの!? なんか、根底的に勘違いしていたな。。。

 

幸せや豊かさは「結果」であり、「結果」は現実世界で生きているときだけしか得られないから(そっちに)生まれる。そして「結果」だからこそ、そのプロセスを楽しみたい。プロセスこそが大切だから。さらに、(何度も言うが)現実世界では生活しなければいけないわけで、収入も必要になる。その収入も、結果に至るプロセスを実行することで得られるものなんだ。

 

最初から結果を取りに行くな、と。

 

そう、結果ではなく、結果を生み出す「やるべきこと」を取りに行け、ということだ。目標を間違えちゃいかん。